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再仕込み醤油の故郷を訪ねて

 醤油にはJAS法で定められた5分類がある。濃口、淡口、白、たまり、そして再仕込み。愛知県発祥の白醤油の出荷量の少なさ(全国で1%)もさることながら、再仕込み醤油もそれに匹敵する。出荷数が少ないということは、認知度も低いということ。
 私が初めて口にした再仕込み醤油は小豆島のヤマロク醤油さんの〈鶴醤(つるびしお)〉。濃口よりも濃厚でたまりよりもさっぱりとした味に衝撃を覚えた。
 そんな再仕込み醤油は山口県柳井市で誕生したと言われているので、いつか行きたいと思っていた場所。聖地巡礼ってやつ?仕事でたまたま山口県に行けることになったので柳井市へGO!

柳井市で8月に開催される金魚ちょうちん祭り。
ルーツは青森ねぷた。

つくり方をバラしたら地獄へ落ちる?!

 再仕込み醤油は、大豆と小麦の麹を塩水に入れてつくった濃口醤油にさらに麹を入れて仕込むお醤油で、濃口醤油よりも2倍の原料と時間をかけてつくられる。今でこそ、このつくり方をもって全国で再仕込み醤油がつくられているけれど、江戸時代には製法が極秘にされ、蔵で働く人たちは

「当家伝来の仕法は他言しません。もし違反すれば神々の罰を受け、末は地獄へ落ちても構いません」

という誓約をさせられていたそう。きゃー、怖い!

 ちなみに、再仕込み醤油は別名〈甘露醤油〉。地元では〈再仕込み醤油〉よりも〈甘露醤油〉の方がなじみがある様子。甘露醤油と言われるゆえんは、この製法を生み出した醸造家・高田伝兵衛が当時の藩主吉川(きっかわ)公に献上したところ、「甘露、甘露」と称賛されたことによる(天明年間 1780年代)。

再仕込みの製法は失敗から生まれた?(かこ説)

「高田さんはなぜ完成した醤油に再度麹を入れて仕込んだんだろうか…?」

と疑問がわいたけれど、その答えはもはや誰も知らない。
 私の勝手な答えは、「一度搾った醤油があまりおいしくできなかった」から。「捨てるのはもったいないし、だったらもう一回入れたら復活するかも?」とゆー、失敗から生まれたんじゃないか?と。

 仕込んでみたら、「あら!おいしい!」「ちゃんとつくったらもっとおいしいんじゃない?」として製法を確立させていったのかも?

 私も味噌作りをした時に塩の分量を間違えて塩辛い味噌ができてしまったことがある。「塩が多いだけなら、もう一度大豆と麹を入れて発酵させればいいじゃん?」と味噌の再仕込みをしたけれど、ちゃんとおいしい味噌になったもんね。

 案外、世の中の発明は「うっかり」や「失敗」があって、それを「なんとかしよう!」と思って生まれたものだと、私は思ってる(笑)。

やっぱり大事な塩と水

 柳井市は瀬戸内海に面していて、晴れの日が多く降水量が少ないため塩の生産に適していた。藩も積極的に稲作と塩の増産に積極的だったため、塩田も整備されていった。
 水は柳井市で2番目に高い琴石山からの伏流水に恵まれ、現存する柳井市の醤油蔵〈佐川醤油醸造所〉の入口には今も仕込み水が引かれていて、誰でも自由に飲むことができる。

昔ながらの土蔵造りの佐川醤油醸造所
出ているのは醤油じゃなくて水です(笑)。とてもまろやか

 実はこの水、柳井市の地名の由来と深い関わりがある。佐川醤油醸造所からほど近いお寺〈湘江庵〉にはこんな伝説が残っている。

豊後国(ぶんごのくに・大分県)満野長者(まののちょうじゃ)の娘である般若姫は橘豊日皇子(たちばなのとよひのみこ・後の用明天皇)に召されて回路を上京の途中、この地に上陸して水を求められました。
姫はこのとき差し上げた清水が大変おいしかったので、そのお礼に、大事に持っておられた不老長寿の楊枝を井戸のそばに挿されると、不思議にもそれが一夜にして芽を出し、やがて大きな柳の木になったと伝えられています。「柳井」の地名は、この柳と井戸の伝説によってつけられたそうで、この霊水を飲むと長寿が保て般若姫のように美しくなると言われています。

湘江庵にあった案内版
柳井市の由来になった柳と井戸
代々挿し木で命をつないでいるという

 佐川醤油醸造所や湘江庵は、柳井川下流の左岸〈柳井津〉にあり、古くは港町で商業が盛んだったエリア。

重要伝統的建築物群保存地区、白壁の街並み

 別の資料によると、この柳井津地区は室町時代以前は〈楊井津〉と表していたそう。般若姫が挿した「」枝のある「」戸が近い船着き場(=)から〈楊井津〉という名前にしたということは想像に難くない。しかし、江戸時代に入り身分制度が厳しくなると楊井津商人は柳の枝のように頭を下げて商いをしようと〈柳井津〉に表記を変えたそう。

川を遡ってきた船から
荷物の積み下ろしができるように作られた船着場〈雁木〉
誰でも降りることができる

 いずれにせよ、今の市名の由来となった伝説に表される銘水があったからこそおいしい醤油がつくれたということになる。

残りは大豆と麦

ここでまたひとつ疑問―「麹の原料である麦と豆はどこから来た?」

先に「藩が米と塩の生産に力を入れた」と書いたけれど、塩田の前に整備したのが田んぼ。柳井湾の入口に土手を築き、潮の干満に合わせて門を開け閉めして海水を排水し、海を稲作ができる干拓地に変えたんだと!!なんとゆー技術。トラクターもユンボもない時代に!
1663年(寛文3年)にんは128haにもおよぶ広大な面積の〈柳井開作(後の古開作)〉を開拓した。

資料でははっきりと書いていないけれど、稲作ができるようになれば畔で大豆は育てられるし裏作で麦も育てられる。瀬戸内の温かい気候ならなおさら。

はい、これで大豆と麦がそろいました!


「大豆、麦、塩、水 × 高田伝兵衛さんの失敗からのヒラメキ」=再仕込み醤油(甘露醤油)


推測の域は越えられないけれど、こうして現地に赴くと疑問がわいてそれに対する自論(仮説)を立てるのが楽しい。

佐川醤油醸造所では今も杉桶で仕込んでいる。
ただ、商品の原材料はシンプルではなかったのが残念。
予約なしで自由に見学できる
昔の道具の展示も

注意

白壁の街並みはほとんどが月曜定休でした。いや、、むしろ土日しか空いてないようなところも。平日に巡る際は営業をチェック!

その他柳井ドコロ

中世からの排水路

柳井市の白壁の街並みがある金屋地区は中世に造られたもの。柳井川へ向けて流れていく排水路も当時のままで、こうして残っているのは全国でも稀らしい。

カニがいた。

柳井土産が揃う〈まつもと〉

創業93年?って書いてあった。柳井市のお土産色々。柳井駅から白壁の街並みに行く途中、川沿いを少し横道にそれるとある。

和製キャンディ?翁あめ

江戸時代から続く老舗和菓子屋〈ひがしや〉の翁あめ。古く平安時代からのお菓子らしい。
材料は水あめ、砂糖、寒天とシンプル。甘すぎなくでおいしいし、ねっとりしてるけど弾力がある不思議な食感。

私はまつもとさんで翁あめGET
断面が透明でとても美しい。けど撮り忘れた!

うどんそば〈釜屋〉

柳井市役所の目の前にあるうどん屋さん。手打ちうどんを製麺機にいれて、その麺が落ちる先は沸騰したお湯の中。
製麺機からダイレクトにお湯にINしている様子は初めて見た!

味のある店構え
透明感のあるもちもちの麺と甘辛く煮た牛にごぼうの天ぷら。

鮮魚と日本酒〈魚好人〉

柳井駅前にある居酒屋、ぎょこうじん。
まつもとさんで「地のものが食べられるお店ないですか?」と聞いて入った店。新鮮なお魚と地元食材の料理が食べられます。

岩国のお酒、五橋とお通し
赤チシャとじゃこサラダ
赤チシャは地場野菜。レタスみたいな葉物
刺し盛り1人前頼んだら「多いと思うからハーフもできるよ」と言われてきた0.5人前の刺し盛り。

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