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落合陽一はオーケストラを 「人間の意地」と言った

飛び跳ねるタイプの指揮者が好きだ。

最近気がついたことがある。
僕は飛び跳ねるタイプの指揮者が好きだ。

今回観てきた
『落合陽一×日本フィル プロジェクト』
<<変態する音楽会>>の指揮者、
海老原 光さんのもまさにそうだった。
https://www.japanphil.or.jp/concert/23302

落合陽一さんの構想した
プロジェクションの映像作品も幻想的だったが、海老原さんのキレのある指揮と、一体になった楽団の動きが何よりの映像美だった。

以前見た指揮者だと田中裕子さんや、
有名な指揮者でなくても、
若くて躍動感のある指揮者の
オーケストラを聴くのが大好きだ。

たまたま名古屋への旅行中で日程が合った
よく知らない(でもとても良かった)市民楽団の指揮者も飛び跳ねるタイプで、曲もあまり詳しくないロシア音楽だったのに物凄く興奮した。

知っている曲であっても、
思わぬ緩急に、腹の底からヒヤリとさせられる感じが堪らない。

完璧よりも、意地がほしい

大変失礼な話になるが、
以前、日本を代表する楽団のオーケストラを、途中で抜け出してしまったことがある。
サントリーホールのS席だったのに、だ。

熟練の指揮者と楽団が
完璧な演奏をしていたのだが、
完成され過ぎて(?)
テレビの前でN響を見ているのと
変わらなく思えたのだ。

落合陽一さんは
オーケストラを「人間の意地」と言った。

『この時代に、
演奏者はわざわざ生で演奏して、
観客は足を運んで生で聴きに来る。
こんな非合理はない。
オーケストラは人間の意地だ。』

確かにそうだ。
その意地こそが、
こんなにも惹きつけられる魅力だと理解した。

音楽会 開演前の
落合さんの講演を聴きながら
「そういうことだったのか」と思わされた。

有名楽団の完璧な曲よりも
名古屋のアマチュア楽団の必死さ、
二度とない大舞台の機会の逃すまいという
意地に魅せられたのだ。

意志こそが代替不可能な価値だ

意地・意志こそが
人を最も惹きつけるモノ、
価値なんだと思う。

これは、持論だけれども、

自分の好みに完璧に最適化された
レコメンドAIに、ランチを提案されるよりも
友人に「めっちゃカレーの気分だから、一緒にカレー食べに行こう!」
と誘われた方が
自分はさほどカレーの気分でなかったとしても気分が上がるはずだ。
人の意志こそが何よりのご馳走なのだ。

そしてこれこそが、
AIに代替できないことだと思っている。

落合陽一さんの言う
意地も同じ話だと思う。

この変態する音楽会も
意地の塊だった。

日本フィルの織りなすあえて言えばくどいほど緩急を付けた演奏、
オールスターのような演目、
それに合わせたプロジェクションマッピング、会場中の光ポール、

しかも映像は10人以上のVJ達が
指揮に合わせてリアルタイムで演奏しているらしい。(その必要あるか?なんて非合理なんだ)

落合陽一さんが、「完璧なオーケストラ」をかなぐり捨ててでも、既存のオーケストラではない別の世界に挑んだ意地を体感させられた。

自分も完璧な仕事ではなく、
意地を感じる仕事を目指したい。

そう思わせられる演奏会だった。

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