見出し画像

俳句と句会と近況と

15年くらいでしょうか。「晴れ晴れ句会」と言う句会に参加し俳句をやってます。

俳句ってものが「場」あってこそ。と言うものらしく、確かに取り組んでいると句会の存在は大きいなと。
もしくは、旅に出たり、引っ越したり、日常だったりと言った発句をする意味での「場」ももちろんです。その辺は自分でどうにかする事もできるのでまぁなんとか。(移動を繰り返しての「ショート奥の細道」的な行動もまたアリだと思います。視覚に新しい情報をバンバン送り込むのは理に叶ってる)

ですが句会ってのは一人ではなんとかならない。
「来月の句会に出そう」と言う目標があり締め切りかるから作る部分もあり、会場での真剣な選句の時間やその後の盛り上がり、また句を取るメンバーの皆様へのリスペクトもあり「みてもらいたいなぁ」「コレは驚いちゃうだろ」「この感覚伝わるかな」というプレゼン的、もしくはビックリ箱を含め驚きや楽しみが詰まったパッケージたる俳句を持ち寄る場所があるって事が素敵だなと思ったりしています。

コロナ禍が開けて…また人生のステージがおおよそ3年くらい進んでメンバーの環境もやや変わったりしつつと言うところで晴れ晴れ句会がリアルな俳句を展開する場として再出発をしようと言う感触を先日の句会にて得てまして、うまいこと良い流れ、良い波が起こる。もしくは起こす仕掛けが作れればとこのnoteのマガジンという「場」を用意したというのが急にココに投稿を始めた部分だったりします。

また、従来はココログと言うプラットフォームを使って晴れ晴れ句会は活動を発表してきていたのですが、仕事柄「ココログよりもっと広がりの良いプラットフォームはないかな?」とモヤモヤしてたので、その辺りも別のプラットフォームを使いつつ提案をしようと思っております。(まだ、仮の段階、はてなブログがベストかは未知数)

僕の立ち位置的には特に俳句に関しては長年やってても一進一退。末席をちょろちょろしている感じ、右往左往しているのが常で「俳句はこうあるべき!」的なムーブは取らない、取れないと思うのですが、自分の俳句の作り方の今を含め少なからず人生の内の良い時間を作り出す謎のアクティビティ的存在。文学というしゃっちょこばった物でなく、身近でモバイルで脳を活性化するマシーンとしての俳句という存在の面白さや付き合い方を気が向いたらお話しできればと思います。

とは言え僕の俳句は晴れ晴れ句会あっての俳句でもあるので、句会は大事にしていきたいなと思いつつ。

晴れ晴れ句会は特に東京の千駄木珍念に集まれる、リアル句会に出れるメンバーを募集してます。気になったらご連絡ください☆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?