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風の中の君に

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「君の姿が見えなくなって、もうどれくらい経つだろう。」そんなことを考えられるようになったのはつい最近の話だ。

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会社で働き出して4年目の春、唐突に支社への出向を命じられた。出向先の仕事も人間関係も、まぁそつなくやれてはいたものの、地味に応えるのが片道2時間の電車通勤だ。席に座って通えてはいるが、それでも疲れはどんどんと溜まっていく。あっという間に毎日が過ぎていき、気づけば休日の朝を迎えている。そんなリズムから抜け出せずにいた。

陽の光の眩しさで目が覚めた。遮光カーテンを雑に閉めていたせいで光が漏れていた。もうすっかり朝とは呼べない時間だが、休日なんてこんなもんだろう。
疲れは相変わらず抜けていないが部屋の片付けをしなくてはならない。近くこの部屋をリフォームすることになっているからだ。荷物をある程度まとめておく必要がある。ただでさえ散らかっているから困ったものだ。

物を捨てられない性分だから、昔のものが次々と出てくる。「あの頃は良かった」と、懐かしむ一方で「今はどうだ」と、自問自答しては悲しい気持ちになる。片づけを進めていくと、一枚の写真に目が留まった。楽しそうにギターを弾いている自分。それを眺める、冴えない今の自分。ギターにはもう長いこと触れてすらいない。あの頃と一体何が違うのだろうか。呆然としてしまった。

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散らかりっぱなしの淀んだ部屋が自分の心そのものであるように感じた。部屋を片付けて風を通さなければ、埃は溜まるし、錆びるものは錆びていく。そんなことを考えながら、閉め切っていた部屋のカーテンを、窓を、久しぶりに開けることにした。

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陽の光で思わず視界が白む。縁側に座ると、すっと柔らかな風が吹き抜けていく。小さな頃を思い出す、懐かしい香りも一緒だ。
「今はどうだ」とまた胸が締め付けられるけれど、そんなこの瞬間もどんどんと過去のものに変わっていく。ならば、あの頃の自分に顔向けできるようにこれからの日々をより良く過ごしていくしかない。風に吹かれながら、決意を新たにした。

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部屋の片づけで一日を終えてしまうのもなんなので、気分転換も兼ねて公園に行くことにした。出不精な自分には珍しいことだ。当てもなく散策してみる。あの木製の独特な時計塔は今も健在のようだ。思い思いに過ごす人たち、その一人ひとりが何だか羨ましく見えた。
肩車をして遊んでいる親子の姿が目に入ってきた。楽しそうにしている子ども。自分も子どもの頃はこの公園でたまに遊んでいた。陽の光を受けて輝く母子像も、煌めきとともに虹を映し出す噴水も、不思議な形をしたこの池も、あの頃となんら変わらない。世界は確かに輝きに満ちていた。それが今はどうだろうか。同じものを見ているはずなのに何故だかくすんで見えてしまう。この世界を、果たして上手く歩めているのだろうか。

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考え過ぎだとよく言われるがなかなか直らない。公園を一望できるベンチに座り、一旦視線を落として、自分自身に問いかけてみる。ものの良し悪しはそのものに直面した人が独断で付与しているに過ぎず、そのもの自体に元々付帯されているわけではない。極端に言えば、起こりうることの一切を前向きに捉えることもできるはずだ。三日坊主になっても仕方がないので、手の届くところから少しずつ捉え方を変えてみよう。そう思い直し、一息ついた後、空を仰ぎながら目を閉じた。

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縁側でも感じた、柔らかな風とにおいがすっと吹き抜ける。葉擦れの心地よい音とともに、過去の思い出が整理されていく。君と交わした約束がこの気持ちを前向きにしてくれるから、きっとこの先、辛いことのその最中にいたとしても挫けることはないだろう。あの頃の自分に笑顔で手を振り返せるように、これからの日々を過ごしていくことを改めて胸に誓った。

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いつか見た、あの頃と同じ真っ白な世界。風に舞う葉が水面を揺らす。気持ちよさそうにそよぐ草原。目の前には見覚えのある一本の木が立っている。立ち上がってその木にそっと触れてみると、これまでの思い出が身体の中を駆け巡っていった。心を満たしたのは悲しさではなく、温もりだった。と、向こう側からも誰かがこの木に触れているような気配を感じた。もしかして、君なのだろうか。

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あれから幾日かが経った。部屋の片付けも終わり、すがすがしい気分で日々を過ごしている。部屋の窓を開けて、あの時と同じ風を楽しむ。過去の思い出達が自分を支えてくれているのだと、今ではそう思えるようになった。アールグレイの紅茶とマドレーヌを楽しみながら、休みの日を穏やかに過ご
している。
部屋の片付けをしている途中で、アロマオイルを見つけた。いつどこで手に入れたのか、まったく思い出せないのだが、縁側を、公園を、真っ白なあの世界を吹き抜けていく風と同じにおいがするので最近はよく使っている。ギターもまた少しずつ弾くようになった。楽しくなり始めた日々を、思い出を、いつの日か君に会えた時は笑顔で報告したい。

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約束したから。真っ白な世界、風の中の君に。


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