見出し画像

写真が苦手な人の実態

相も変わらず写真が苦手な人を撮っているのだが、ここ数年ずっと思っていることがある。恐らく、いやほぼ確実と言っても良いのではなかろうか。写真が苦手な人は、写真のことが好きだと思う。

最初にそう思ったのは、お客さんから写真に対する感想をもらった時である。メールを開くと、長いのだ。感想文の量が半端ない。写真館勤務時も感想はもらったことはあるが、大体「綺麗に撮ってくれてありがとうございました」くらいで終わるものである。

その上、その感想文の中身が濃い。「語彙力がなくて申し訳ありません」と言いながら、普通素人さんはそこまで見ないっすよ、という所まで私の写真を読み込んでいたりする。自分の写ってる写真なら、自分の顔だけ見ていれば良いようなものだが、私の背景の切り取り方、その明暗、色味まで読み取り、物語性を感じ取り、それを私にちゃんと伝えてくれる。そして、撮影時に私が言った言葉も、私以上に事細かに覚えてくれていたりして、たまに私を泣かせることがある。

撮った後の感想が濃いのもすごいのだが、人によっては撮る前の依頼文から濃い。私がHPやSNSに載せる写真から、プロなの?というような分析をしてたり、想いを寄せてくれていることがある。そして「どのように依頼したら良いかが分からない」と言いながら、なんでそんな発想ができるの?という依頼をぶつけてくる。
「撮った日が記念日になるような写真が欲しい」
「自分が死ぬ場面を撮りたい」
「好きな画家が生きていた時代を写真で蘇らせたい」
「見る人が違和感を持つような遺影を撮りたい」
全てお客さんから頂いた依頼である。もちろん「写真が苦手」と自称するお客さんからだ。

そういうお客さんを相手にしていると、「写真が苦手」と言われても「いやいやいやいや」となる。確かに技術の話は通じない。でも絵作りの話は容易く通じる。撮られてる間もガチガチだったりするが、私の指示を真剣に聞いている。写真が苦手な人の姿勢には思えない。

私が思うに、「写真が苦手」を自称する私のお客さん達は、「実は写真が好き」故に、写真に対する理想が高く、なかなかその理想が叶えることが今まで出来なかったのだろう。或いは、つまらない写真に対し、拒否感を感じてしまうのだと思う。

自分を撮って欲しかったのに、誰かの真似をさせられたり。撮りたいコンセプトを理解してくれなかったり。衣装のこだわりに共感してもらえなかったり。ポーズや表情に指示を出してもらえなかったり。自分の嫌な部分を強調されたり。

「もっと綺麗に撮れたはずなのに」という想いを、専門家相手に説明するのは難しいし、プロのモデルでもない立場だと恥ずかしさが勝つだろう。「写真が苦手」だから仕方ない、と諦めてしまう方が簡単だ。そう思い込み、撮られることから逃げてしまえば傷つくことはない。当然の選択だと思う。

だが、私はそういう人の首根っこを掴みたい。何故なら「写真に対する理想が高く、つまらない写真に拒否感を感じる」なんて、私と一緒じゃないか。それなら、私と仲良くしてほしい。最後だと思ってくれて構わない。もう一度だけ、私と写真を楽しんでみてくれないか。

そんなことを考えながら、私は今までもこれからも、写真が苦手な人を追いかけていく。

写真は最近撮った面白い依頼。日本画のオマージュに「とにかく自然とひとつになりてえよ」精神を足したもの。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?