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そのボーダーラインはもうないはずなのに。

「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」第二話までは見ました。今思っていることを少し書いておきます。
もうない(と思う)、ボーダーラインについて。

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「オタク」とは、どういう人たちを言うのでしょう。

最初にこの言葉を聞いてからずいぶんたち、その数十年のあいだにだんだんと「オタク」の意味するものがかわってきたように思います。
何オタクかでまた違うかもしれないけれど、2021年の今、私は「オタクとは、誰かが作り上げた何かを、心から深く愛してる人たち」だと思っています。
たぶん、あなたも私も、何かの「オタク」です。

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「オタクとは、誰かが作り上げた何かを、心から深く愛してる人たち」
そう思ってるから逆に、誰かが作り上げた何かを軽んじるシーンを見ると、そしてそれが「おもしろいエピソード」として使われていると、とてもつらい。

・お店の人が作った、居酒屋の枝豆を投げる
・鯛焼きの餡を絞り出して捨てる

・幼なじみの書道作品に墨をつけて笑う

でもそんな人は、自分の作品を悪く言われたら怒る。

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「彼氏ができない」って、どういう意味なんでしょうか。

恋愛は、誰かと誰か、少なくともふたりから始まるものですよね。そしてその相手は誰でもいいわけじゃない。あなたがいい。
だから、【私にあなたという恋人が「いる」】とか、【あなたが私の恋人に「なる」】【そんな恋人が「いない」】という言葉の方が、私にはしっくりきます。

それに…恋してもしなくても、しあわせならどっちでもいい。
そして、彼氏がいるかどうかは、人の優劣には関係ない。
そして、娘の恋人が彼氏かどうかなんて、わからない。

そして、娘が恋をしてもしなくても、お母さんには関わりのない話。

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「四十代なのに五十肩だと言われた!」と憤慨する母、「女の子は小さい方がかわいいよ」と言われてまんざらでもなさそうな娘。

「老けて見られたと怒る女」をおもしろがり、誰かをイケメンだとかかわいいだとかブスだとか、見た目だけで判断する時代は、もう終わりにしてもいいと思うんです。というか、終わったはずだと思います。

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「オタク」「彼氏がいない女」「自分には価値がわからない、他の人の作ったもの」「年齢」「見た目」「名前」…

そういったものが、「彼らのボーダーライン」の向こうにある。
「ここから向こうにあるもの、私の世界とは違うものや人は笑ってかまわない」という、はっきりしたラインがひかれている。

そしてたぶん、私も彼らの「笑っていいもの」のエリアに入っている。

ここ数年のドラマで
・女性は若いほど価値がある
・女性は男から見てかわいくあるべき
・恋をして当然
・恋人がいない人は劣っている
・恋する相手は異性で当たり前
・オタクは変
こんな呪いが次々打ち消されていくのを、私は拍手喝采して見てきました。

どんな価値観があってもかまわないけど、ボーダーラインはひかないでいきたい。

ボーダーレスで、愛にあふれたオタクとして、恋をしてもしなくてもしあわせに、自分の好きなものをたいせつに、他の人の好きなものもリスペクトして、生きていきましょうね。



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