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No Music No Life 第2回

誰にでも、想い出の音楽がありますよね。
あなたの心に刻まれている音楽は何ですか❓

ここでは、僕の心に残っている音楽を
皆さまに紹介していきます。

2001年11月 ニューヨーク州・マンハッタン・フルトンストリート
この通りの西側交差点に、僕は立っていました。

そこは、辺り一面灰色の世界でした。

路面はまるで新雪が降り積もったように、振り返る僕の足元に点々と足跡を残していました。
自分の瞳には、ビルの上部の鉄骨がグニャリとひしゃげて、地面に突き刺さっている情景が映り込んでいます。

地面に突き刺さった鉄骨の脇では、大型重機が唸りをあげながら、目の前の大地を繰り返し繰り返し掘り起こしていました。


2ヶ月前 9月11日、目の前にあったはずの2つの巨大なビルディングが、忽然と姿を消しました。

その日から2週間後、一通の電子メールが届きました。
差出人は、ニューヨークロードランナーズからでした。

電子メールは英文でこう書かれていました。

ニューヨークシティマラソンに参加を予定されているランナーの皆さま

ニューヨークは哀しみに包まれています。
マラソンを安全に開催することが、非常に困難な状況となりました。
とても残念ですが、今年のニューヨークシティマラソンは、中止とさせていただきます。


それを受け取った瞬間は、愕然としました。
でも、3日後には立ち上がる事にしたんです。

たとえマラソンが中止になったとしても、マラソンゴール地点のセントラルパークに行けば、きっと同じ想いを抱いた誰かがいるに違いない。

そんな世界の仲間たちと一緒に走って、哀しみに沈んでいる街を少しでも元気にしよう!

僕は、こう考えました

そして、旅立つ準備を始めたのです。

それから、さらに一週間後、僕の元にニューヨークのジュリアーニ市長から、突然一通の電子メールが届いんたんです

そのメールには、英文でこう書かれていました。

ニューヨーク市民は、深い哀しみに沈んでいます。
大リーグも、NBAも、フットボールも、全ての公式な大会は中止となりました。

でも、

私は、このニューヨークシティマラソンだけは、何としてでも開催したいのです。
このマラソン大会が、ニューヨークの希望へとつながると信じています。

皆さまの参加を心よりお待ちしています。


このメールを受け取った瞬間、僕は飛び上がるほど驚きました。

そして、その2ヶ月後、廃色の世界となってしまったフルトンストリートに立っていたのです。

その年のマラソン大会は、世界中からキャンセルが相継ぎ、参加ランナーは激減しました。
それでも、参加したくても犠牲になって参加出来なくなった兄弟姉妹が、その遺影を掲げて走ったのです。

2001年11月4日 ニューヨーク・シティ・マラソン

スタート合図の号砲の後、静かに流れ始めたのがこの曲です。

「New York New York」    Frank Sinatra
https://www.youtube.com/watch?v=x_srVEAP-WM

#NoMusicNoLife

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