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テキトーでいいかげん

テキトー。

「いいかげんで、ちゃらんぽらんなこと」という意味合いで日常使われる事が多いと思います。

テキトーと言えば高田純次。

かなり偏見が入っているかもしれませんが、「テキトー」の文字をwebで検索すると彼の名前が上位に出てくるし、いい意味でのテキトーな方ということで。。汗

まあ、「適当教典」なる書物を上梓しているくらいなので。

もう表紙からテキトー感満載なのですが
意外と丁寧に質問者に回答している感が。。

古本屋さんをぶらぶらしていたら、たまたま見つけて、なんだか気になって、なんだかよく分からないうちに思わず買ってしまった本。。

高田純次節炸裂の「人生相談」。

下ネタ満載のなんとも言えない「ゆるさ」、「テキトー」さ加減。

とは言え、意外とまともな、本質を突いているのではないか、と思うような回答もあり、今のご時世のアンチテーゼとしての世界観かなあ、、とニヤニヤしながらこの「教典」を最近読んでいました。

と思う一方、「意外とまとも」と思う自分の考え、判断軸は、個人の、そして今の時代背景の傘の下での話であって、「まとも」か「まともでない」を分けることって意外と難しく、微妙な話かもしれないと思ったり。。

さて、そんなことあれこれ考えているうちに、、そう言えば「テキトー」という言葉は、「適当」という漢字だったよなあ。。

そして、その漢字をよくよくじっと眺めてみると。。

「適したところに当てる」という本来の字義が浮かび上がってきました。

物事を「適したところにちゃんと当てる」ためには、テキトーでちゃらんぽらんではなく、最適な解を導き出す行為でもあり、かなりの知見と技量をフル活用して正確に狙わないと「当」たらないのではないか。

なんだか「テキトー」と「適当」は示す表情がちがっている。

「いいかげん」という言葉も、「良い加減」という文字になると、「物事を絶妙な加減で対処する」というこれまた深い意味合いになってくるのではないか。

ドラマや実生活でも「あの人はいいかげんな人ね」というセリフが出てきますが、「あの人は良い加減な人ね」と漢字で表すとなると、なんだか人の気持ちの機微がわかる深みのある人のように思えてくる。

「いいかげんに生きちゃだめだ!」ではなく、「良い加減に生きろ!」とむしろ良いアドバイスのようにも思えてくる。

高田純次の本は、はあえて深い意味を込めて「テキトー」ではなく「適当」の文字を使ったのだろうか?
(うーん、、あんまりそんな感じはなさげでありますが、、汗)

いい意味で、「テキトー」、「いいかげん」の言葉を使ってみようかなと思っています。

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