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兆しを楽しむ
5月上旬の爽やかな朝の散歩。
いつもの散歩コースでは、あちこちでもう次の季節の準備が始まっていました。
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紫陽花の小さなつぼみが陽の光をもらいすくすくと育っている。
ほんの3カ月前のこの紫陽花君は雪の中で寒さの中でじっくりと力を蓄えていました。
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たった3カ月の変化。
これは、変化というより変貌、変態、トランスフォーメーションに近いような。
(あ、ちなみに「変態」は、そっちの意味じゃなく「態」を「変」えるということです笑)
植物と人の成長、変化のサイクルや過ごす時間は違うとはいえ、この3カ月は自分はどうだったんだろうか?
日常生活の中で目的を持って自分をめきめきとバージョンアップさせていく面白さはあります。
とは言え、何がなんでも「変わらなきゃいけない」という強迫観念で日々過ごすものでもなさそうな。
万物は絶えず流転し、変化、消滅していく。「常」にはあらずということでの「諸行無常」という仏教用語があります。
世の中の「諸行」が「常」なる状態が「無」いものであっても、その流転の中にあっても、「変わっていくもの、変わらないもの」はあるのだろうか。
言い換えれば、「変えていくべきもの、変えるべきではないもの」があるのだろうか。
しかし、「べきもの」とすると、「べし」という当然、命令、指示的な人間のエゴ、人為性が入り込んできて意味合いが違ってくるのだろうか。
あれこれ考えながらの散歩道。
さてさて、いつもの散歩コースの紫陽花君の近くには「ムラサキシキブ」さんがいらっしゃいます。
こちらは若葉を茂らせ秋に向けてしっかり準備をし始めていました。
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秋にはやんごとなき紫の実をつけます。
先のことを気してあまり心配して気を揉むより、今を楽しみつつ、でも次の変化の兆しを見つける事も楽しみたいと思いました。
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