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特攻観音へ
映画「ゴジラ-1.0」を観て以来、ずっと特攻隊のことが気になっていました。
先日は日本人による特攻隊員のルポルタージュ、「特攻基地 知覧」「今日われ生きてあり」を読んでいましたが、欧米人には特攻隊はどのように映っていたのだろうか?
西洋の歴史においても、置かれた極限状況で突発的な身を投げ打っての行為が英雄的行為となる事例はあると思います。
しかし一方で、死が分かった上で、戦闘能力の低い戦闘機で艦隊にあえて集団で突っ込んでくるのは狂気の沙汰であり全くもって理解しがたいのではないか。
その状況を西洋はどのように受け止めているのだろうか。
そんな観点から読んでみたのがパリ生まれのジャーナリスト、ベルナール・ミローが書いた特攻隊関連の書籍、「神風」。
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特攻飛行隊の話だけはなく、「回天」等の
様々な特攻の事例を詳細に検証しています。
「礼節の国・日本人が非常事態に現れる精神性の異常さ」として、「敗戦国」の日本人を一刀両断にすることなく、日本文化、日本の精神性を理解しようとするところから本は書き起こされています。
そして、真珠湾攻撃での文字通り決死の潜水艇攻撃があり(そんな事があったとは知りませんでした)、そこからラバウル、グアム、フィリピンでの戦闘で日本人のとった行為に一貫して見て取れる「予め死を覚悟した行為」を丹念に浮き彫りにしています。
終戦間際の知覧からの特攻隊の攻撃は一時的な狂気の行為ではなく、日本の歴史的な精神性の流れの支流に位置付けられるのではないか。
明治維新以降の日本社会の構造を、生活様式や組織体制が変わったとしても精神構造は変わっていなかったのではないかという指摘は興味深いです。
「日本は長いあいだ西欧の影響と進化に対して閉ざされつづけていた。その日本が西欧にむかって門戸をひらいたとき、日本人、ことにその為政者たちは、最良と思われるものを吸収同化することに努め、無用と評価されるものを拒否した。このとき必然的に日本帝国は近代的思考と方法を持って、ただしそこに中世倫理を併存して構成されてゆくことになった。」
さて、いろいろ調べて行くうちに、特攻隊の方々を祀る特攻平和観音は、鹿児島県の知覧だけではなく、東京の世田谷にもあること知り、先日お参りに行って来ました。
東京都世田谷区下馬にある世田谷観音寺。
閑静な住宅街に観音堂はありました。
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のんびり散歩がてらにちょうどよかったです。
戦後創建された比較的新しい寺院のようですが、各地の寺院から取り寄せた江戸時代以前の文化財もあるようです。
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そして、特攻平和観音堂。
特攻隊として帰らぬこととなった陸軍、海軍の特攻隊員の合計6,418名のお名前が捧蔵されていました。
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「回天」のような水中(小型特攻潜航艇)や、
「震洋」のような水上(小型特攻ボート)の方も祀られています。
世田谷の特攻平和観音堂で「震洋」の小型特攻ボートで亡くなられた方が1,085名いることを知り驚きでした。
「桜花」のような戦闘機や、「回天」のような潜水艇が注目されがちですが、この「震洋」も同じくらいの規模であったこと、恥ずかしながら初めて知りました。
そして、ベルナール・ミロー著の「神風」の本にも、「震洋」の話が丹念に記載されています。
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前途有望な若者が4メートルくらいのむき出しの小型ボートに爆薬を積んで一人で巨大な米国艦隊に向かっていく。
その若者は一人どんな心境、どんな境地の中で向かっていったのだろうか。
ただただ心が痛みます。
そして、「神風」の著者ベルナール・ミローの最終章の記述がとても印象的です。
『特攻隊員の人間像』
筆を進めつつも、著者は日本人の特攻隊員に敬意を禁じえなかった。
しかしその感情は感情として、本書では彼らの物語のあまりにも有名すぎる表面の様相をできる限り脱神秘化することに努めた。著者は彼らに超自然的な人間離れした栄光の冠を呈する意図はもたなかったつもりである。
なぜなら彼らは人間だからである。善と悪のポテンシャルをともに併せ持つ人間という生物だからである。まちがった英雄伝説の中に彼らを入れてはならない。客観性と公平を重んずる我々西欧人にとって、そのようなことをするならば思考の誤りを犯すことになる。
故に著者は、彼らを知り、その心情に奥深く入り込んで探りを入れ、彼らが肉と血で作られていて、愛したり悩んだりできる人間だったのだということを片時も忘れないで彼らの感情を分析しようと努めた。
特攻平和観音堂に深々と頭を下げての帰り際。
境内の門柱には、えびす様が穏やかなお顔で新緑を見つめていらっしゃいました。
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人がえびす様を見上げている形になるので、
なんだかえびす様に釣りあげられるような不思議な感じがしました。
そして、大黒様の何とも言えない朗らかな笑顔も。
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新緑が心地いい初夏の観音堂。
今の時代のありがたさを改めて感じながら家路につきました。
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