十中観
陽明学者の安岡正篤の「百朝集」という本は折に触れて読む本の一つです。
正月に改めて紐解いてみましが、その中に安岡正篤の座右の銘とも言われる「六中観」(りくちゅうかん)というものがあります。
日々の心の持ち様を語っていますが、とても味わい深い「観」です。
そして、安岡正篤はこの「六中観」をこのように語っています。
どれも味わい深い「観」ですが、特に四の「壷中・天有り」は「後漢書」方術伝・費長房の逸話を取り入れたもののようです。
本来の「壷中之天」は、別世界、別天地のことで、酒を飲んで俗世間を忘れることの例えとして使われているのが一般的。
しかし、安岡正篤の「六中観」での「壷中・天有り」は安逸な世界に浸るということではなく、精神のバランス、侵されない心の要塞、心がホッとする場所に行き、また現場(苦中、死中)に戻っていくということと解しています。
ここまでの域に行けるかどうかはさておき、なかなかの「観」ではないかと思っています。
さて、最近読んだ田坂正志の「直観を磨く」という本の中に、「深く考える技法」のひとつに、『一つの「格言」を、一冊の「本」のように読む』。そして、「その格言を加筆・修正する」というものがあります。
短い格言を味わいつつ、深めていく手法としてとても面白く、安岡正篤の「六中観」を敷衍して、それに続く「観」を考えつつ、僭越ながら「十中観」なるものを作ってみました。
続く四つの「観」は以下の通り。
七、渦中・志有り(どんな渦の中にいても志を持てば翻弄されない。志が渦を作ることも)
八、雨中・快有り(「生憎の天気」はない。どのような天気でも四季折々の変化であり、あるがままに受け止めて楽しむ)
九、心中・徳有り(「徳とは何か」「徳の実践とは何か」を意識しての行動)
十、道中・友有り(アフリカの格言と言われている「早く行きたければひとりで行け、遠くに行きたければみんなで行け」の実践)
なかなか安岡正篤のような格調高いものにはならないのですが、「六中観」をベースに「My十中観」を作り、七~十は折に触れて見直していくということをやって行こうと思います。
格言の世界に入り、あれこれ自分なりの「My格言」にしていくことは、「壷中・天有り」の世界に入っていくことかもしれないとも思いました。
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