節操(せっそう)

 私は小学校〜中学校までは野球、高校〜大学までは陸上競技と部活動一本で人生を歩んできた。そして昨年、長い部活動生活に幕を閉じた。

 確かに部活動一本をやっていく他に異なる選択もある。つらい事も沢山あった。正直言えば、楽しい事なんか1割以下でつらい事の方が9割を上回っていたと思う。でもなぜここまでやり抜いたのだろうと競技人生を終えた後に自問自答した時があった。

「やめたければ辞めればいい。」

 数多の者がこう言う。それに対して「辞めるのは簡単だ」、「気持ちの弱いやつだ」と言う者もいて、そう反論する。

 やめるべき時もあるしやめるべきではない時があるから、その判断は難しいし、恐いし、何よりつらい。私的な事を言えば、闇雲に目的もなくやっているなら、やめた方がいい。陸上競技で例えるならば、自己ベストが数年間出せずにいる選手だ。しかしこれには2つのパターンに分かれる。

 1つ目は、コツコツ努力している選手の場合だ。努力しているということはその人には必ず何かしらの目標がある。努力しても結果がでなけば意味がないという人もいて、結果を出さなければその努力は評価されない。しかし、その評価は周りの人がするだけで、増して、部活動に置いての評価なんて自分の人生において何の影響力もない。また、成長曲線っていうのも存在していて、努力がその成長に追いついていない時もある。だからその1つ目はかなりの可能性を秘めていると考える。

 2つ目は何のビジョンもなく、ただその1つの団体に所属しているだけの人の場合である。目標もなくただやっているのは周りへの影響力もないし、何より自分にとっては不利益しかなく時間の無駄である。例えば、練習を寝坊や遅刻する人や、所属する団体に対しての愚痴ばかり言っている人である。そういう人に限って自分を正当化しようとする。注意するとその人は「いや、、、」と始めにこの言葉を出す。そういう人は違う道に進んだ方が良い。その後、成功するかどうかは結果論であるが、その道からは離れた方がいい。

このように様々なパターンが存在して、簡単につらいから辞めるというのは、それは違うと感じている。

まちがいさがし

私は1つ目のパターンに当てはまっていたと思う。でも可能性は低かった。怪我をしていたからだ。大学時代はずっと怪我をしていて、大学4年生になってマネージャーになった。周りの人間はサポートするのが上手いって言うけれど、正直、サポートするのは苦手だった。自分が活躍する姿をずっと思い描いていたからだ。でも、闇雲に何も残せないまま終わる競技人生よりも自分の苦手な事でも実践して何か残せた方が今後の人生につながると思った。

菅田将暉さんの

「まちがいさがし」という歌がある。

その歌詞の中に

「まちがいさがしの正解のほうじゃ出会えなかったと思う」

「まちがいか正解かだなんてどーでも良かった」

とある。

 この選択が正しかったのか、まちがいだったのか考える時もある。結論はどーでもいいである。(笑)

 自分を信じてした選択だ。その選択によって沢山の人に出会えて、その人達から沢山の良い影響をもらった。その選択が正解、あるいはまちがいだったのかもしれない。その人との出会いが正解であり、正解あるいはまちがいの選択でしか出会えなかった人達である。そう考えればその選択の正解、不正解なんてどーでもいいと考えるのが普通だと思う。

 学業にはあまり力を入れてこなかった分、専門知識とかは乏しい。学業に力を入れる人生もあった。これまでに何かを得られたと言えば、その人との出会い、つまり人脈だと思う。スポーツをやっていたので、正直、結果を得たかった。でも得られなかった。当然、悔しい。それでも後悔はしていない。結果に相応する人との出会いや経験はできたと思っている。

これから新たな門出が待っている。不安の方が大きい。でもワクワクはしている。でもやっぱ不安の方が大きい。(笑)

色々な経験をしてきたという自信を持って何かを成し遂げられるようにやっていきたい!