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うたかたの記憶|『Water Memory』原田教正

写真家・原田教正氏の初写真集である。

12年間、撮りためた写真からセレクトされたという本書は、ポートレイト、ランドスケープ、静物と、一見、無作為のようにも見える。しかし、最後までページを繰ると、通底する「なにか」を感じた。

本書の写真は、みな深い青みを帯びている。
人も景色も果物も、まるで海に沈んで、そのまま時が止まってしまったかのようだ。
海のなかのように、静かで、ひんやりと冷たく、いつまでも漂っていたい。でも、ちょっと怖くもある。そんな写真集だ。

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読み返しているうちに、あることに気がついた。
ポートレイトの被写体がみな、白いTシャツを着ている。
装丁も白だし、この「白」という色には、なにか重要な意味があるのだろうか。
そんなことを思いながら、本書を見返していたら、目に止まった写真があった。
白く泡立つ波しぶきを捉えた一枚だ。
その写真を見たとき、「うたかた」という言葉が頭に浮かんできた。

本書を読み終えて感じた、通底した「なにか」がわかった気がした。

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『Water Memory』とは、「うたかたの記憶」とも言えるのではないか。
氏は巻末でタイトルについてこう書いている。

〈水はいつもそこにある。川となり、海となり、どれほど姿や様子を目まぐるしく変えようとも、そこに行けば変わらぬ存在としてあり続けている。〉

コップのなかの水が蒸発し、それがいつか、雨となって、川を流れる。その川の水が、回り回ってまたコップを満たす。厳密にいえば、同じ水とは言えないかもしれないが、違うとも言い切れない。

同じだけれど、違う。違うけれど、同じ。

写真も似たようなところがある。昨日撮った写真と同じ場所、同じ時刻、同じシチュエーションでカメラを構えても、決して同じにはならない。けれど、景色は変わらず、そこにあり続ける。

写真は、そんな、うたかたのように儚い瞬間、記憶を留めてくれる。
氏は、自身の写真をこう振り返っている。

〈膨大な写真に写っているほとんどの出来事は、薄情なほど記憶にはないが、その瞬間の光景だけは、不思議と手に取るように思い出すことができる。今となっては変えようのないその時が、当時とはその意味を変えながらも、写真の中に留まっている。〉

本書は、読者にも忘れかけた「うたかたの記憶」を思い起こさせてくれるに違いない。

数年後、その記憶の意味は変わっているかもしれないけれど。

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