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拝啓、僕をいじめていた人たちへ。

それは唐突に訪れた。ある日、昨日まで仲良かった友達に無視されるようになって、それからある程度仲良かった子、そうでも無かった子、名前だけかろうじて知ってるような子からも無視されるようになった。無視をしてるのに、僕のいないところで陰口を叩いて、それが直接聞こえるように距離を縮めてきて、最終的に直接暴言を吐かれるようになった。
(無視してたのに話しかけてくるの、一周まわってる感じあるね。)

あ、これがいじめか。

佐藤、小学校二年生の時である。

いじめは、クラスメイトからだけではなかった。担任教師からも「物を盗む子」扱いを受けた。
発端は、一足の靴。
同じクラスの小澤くんの靴がなくなったと帰りの会(懐かしい)で言われて、僕は学校の前を流れる川(ほぼドブ)に落ちていたのをみた気がしたので、それを教師に伝えた。全くの善意。ピュアな心。優しさの塊。早く見つかると良いなと思っていた。

ところが靴は見つからなかった。多分どんぶらこっこと流されたんだろう。そりゃ日にちが経ってれば、流されるのは当たり前だし、ドブだったから埋もれしまったのかもしれない。
「小澤くんの靴はなかったよ。」と言われ、そうか残念だなと思っていた矢先、
「佐藤さんは嘘をついてるね?本当は佐藤さんが隠したんでしょ?」と詰められた。全く心当たりもないことを言われ、最初はそんなことないと言ったけど、信じてもらえなかった。結局、親が新しい靴を買って、小澤くんの家まで一緒に謝りに行った。この光景はめっちゃ覚えてる。

それから、誰かのものがなくなるたびに犯人にされた。消しゴム、定規、上履き、教科書。あらゆるものを「隠した、捨てた、盗んだ」と言われた。身に覚えはなかったのにそう言われるもんだから、もう諦めるしかなかった。真犯人がのうのうと生きる中、僕は謝罪し続け、人を信じられなくなった。


学生時代のいじめを「いじめ」と認識している加害者は少ない。というかそんな意識は当時からないのだと思う。同窓会という名の飲み会で家族のことをみんなの前ではなされ、僕の性別のことも言いふらした挙句「うちでご飯食べる時話題になってるよw」と言われたことがある。そんな話題しかないなんて、淋しい家庭だなと思った。
先日、友達経由で子供を産んだと聞いた。その子が将来いじめられたら、彼女はどんなふうに対処するのだろう。自分のことは棚に上げて「いじめは良くない」というのだろうか。自分がしていたことが、子供に巡って来ただけなのにね。
もちろん僕はそんなこと望んでない。子供には幸せになってほしい。

ちなみに、いじめられていたという記憶は鮮明に残っているけれど、全てを思い出せるわけではない。記憶からサヨナラしてしまっている。申し訳ねぇ。

ただ、この“記憶からサヨナラ”術は人生を送る中で、めちゃめちゃ使える。めちゃめちゃ良い。嫌いな奴は、自分の世界から消す。もともと存在していなかったことにする。
自分の知らない場所で、世界で、勝手に生きていてくれたらいい。そっちで仲良くよろしくやっててね〜てな感じだ。
だから日常生活で学生時代のことを思い出すことはほとんどない。中学・高校生の時の記憶は部活動以外はない。部員の名前と顔はいつでも思い出せるのに、それ以外のクラスメイトや教師は全くと言って良いほど思い出せないのだ。(この前卒業アルバム見て、自分の覚えてなさに失笑した)

でも嫌なことは全部抹消、というわけではない。嫌でも、覚えておいた方がいいなと思うことはちゃんと覚えている。し思い出そうと思えば思い出せる。
けれど「自分の人生に、これは必要ない」と思うことはデスクトップ上のファイルを、ゴミ箱に捨てるように僕の人生から消し去る。そして新しいファイルを入れる容量を空ける。これを無理せずできるようになったのは、多分覚えておいたら自分が壊れてしまう、というのを避けるための自己防衛本能だ。
前世は多分、狩猟民族だと思う。自己防衛本能が強く、夜勤に適している。知らんけど。


29歳になった今、僕は自分の望む戸籍性を手に入れた。事業を起こし小さいながらも楽しくやっている。信頼できる友人も周りにいる。不便なことはあるけど、不幸ではない。
好きな物を好きだといえる時間もお金も余裕もある。人からありがとうと言われて、仕事が楽しいと感じる心も残っている。


当時僕を汚く罵った人、ろくな大人になれないよと言い放った教師、人を信じる気持ちを奪っていったたくさんの人たちへ。

ざまあみろ。僕は幸せになったぞ。

そして今いじめやその記憶で苦しんでいる全ての人。
絶対、幸せになろうな。


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