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僕が介護福祉士になった日のことを話そうと思う。

「膀胱癌だったって。」

なんとなく予想はしていた。だからあんなに病院の受診をお願いしたのだから。

専門学校を卒業して数年経った2014年。
自分の性別に折り合いがつかず精神的に一番疲弊していた時代だったとおもうが、それでも僕は介護の現場に立っていた。
奨学金の返済免除を受けるためになんとしても5年間は介護現場にしがみついていただけで。
だから、僕自身そんなに介護に思い入れもなかったし、働く場所にこだわりもなかった。
ただなんとなく「看取りやってるところ」を選ぶようにしていたと思う。

そんな僕が、今となっては起業して後輩育成をし、介護の仕事に真剣に取り組むようになったのは
「Kさん」という利用者さんとのエピソードがあるからだ。
この話は色々なところで何度も話しているけれど、しっかり形として残すために今回ここに記す。

Kさんとは2件目に就職した施設で出会った。
お祭りが好きで気立が良く、いろいろな話をとめど無くしてくれて、よく笑う素敵な女性だった。

「あなたもこれ飲むといいわ。これすごく美味しいの。」とジュースを勧めてくれたり
「あなたの分はないの?じゃあ半分こしてあげるからちり紙持ってらっしゃい。」とお饅頭を半分くれようとしてくれたかと思えば
「やっぱ全部食べたいからあげない、へへへ」といたずらに笑っているような愉快な人。

「佐藤さんっていうのね。覚えやすくていいわね。」と言っていたけど僕の名前はなかなか覚えてもらえなかった。

ある日僕はその人の“居室担当”になった。
本当にたまたまだったと思う。元々その部屋に暮らしていた方の容体が悪くなって部屋を交換したから
担当者が僕に変わっただけで、先輩も特に意図もなかったと聞いたことがある。

居室担当になってからも関係は何も変わらずに過ごしていた。
涙もろいKさんは、敬老会の日に米寿の表彰をされて涙を流していて
それを写真に収めると「やだわ恥ずかしい」と笑いながらまた泣いていた。

だから不思議だったんだ。
ある時急に、あんまり笑わなくなったのが。

きっかけは血尿だった。
血尿が出るからと泌尿器科を受診してもらって、抗生物質をもらって帰ってきた。
2日もすれば血尿も止まり、排尿痛もなく過ごしていたけれど、僕にはいつもと違って見えた。
誰かが話しかければ笑うしいつもみたいによく喋る。ご飯も全部食べるし、よく眠る。
なんの変哲もなく過ごす、昨日も、今日も。
でも、でも違うんだよ。何かが。

僕はそれを当時のリーダーに話した。
「多分膀胱炎じゃないと思います。」
「じゃあなんだと思うの?」
「いや…わからないんですけどいつもと違う気がします。」
「そりゃKさんにだって元気ない日はあるよ」
「ん〜…でも喋ってても笑わないな〜って。」
「そういう気分なんじゃない?」
「ですよね…。」
「でも佐藤くんがそう思うなら、看護師に話してみるよ」
「すみません…」

まあ当然の如く看護師には否定された。
膀胱炎の診断をされ、抗生物質で血尿も排尿痛も治った。熱もなくバイタルの異常もない。
そんな“普通”に過ごしているのに何が違うのか、と。

僕は諦めていた。まあ別にいいか、言われてみれば看護師さんの言ってることの方が正しいよな。
なんの根拠もないし説明もできない。そりゃそっか。と。

それでもリーダーは看護師を説得してくれた。
「うちの佐藤がいつもと違うと言っているし、もう一度受診して診てもらってほしい。」
こんな下っ端の言うことを信じて看護師にお願いしてくれた。

そして受診当日。
「またお出かけだって。行ってくるわね」
「うん、お土産待ってます」
「お金ないもの〜」

そんな話をして見送った。
2時間後。車の運転でついて行った相談員からフロアに電話があった。

「膀胱癌だって。持病もあるから余命は1ヶ月くらいだって。」

その電話を受けた職員は、すぐそばでお茶を入れていた僕に教えてくれた。

僕は情けなくも泣いてしまった。
ああ、やっぱそうだ。なんでこんな時だけ勘が当たるんだ。
絶対痛かっただろうな。だからいつもと違ったんだ。
なんでもっと早く気が付かなかったんだろう。1ヶ月ってなんだよ。

そんな思いがぐるぐるしていると
「泣かないの。Kさん帰ってきて佐藤くんが泣いてたら心配されるよ」と
その場にいたスタッフに声をかけられた。

そうだ、もうできることを考えるしかないんだ。
できないことを数えたって時間の無駄なんだ、時間ないんだから。

そう切り替えて、僕はKさんの帰りを待った。
「お土産買えなかったわ〜。あらあなたなんで泣いてるの?」
「泣いてないです。」
「嘘よ〜目が真っ赤よ。」
「Kさんが僕のこといじめるから…。」
「あら、弱虫ね〜そんなんじゃもっといじめちゃうわ」
そう言って、またいつものように過ごした。

4日後。Kさんがずっと言っていた故郷のお寺に一緒に行くことができた。
たくさん奉納されている招き猫を見て一緒に笑った。
昔の家がこっちにあるからと、車椅子を押させた割にすぐに興味無くなってたし
お寺の猫の名前を3種類くらい呼んでみていたし
本当に自由に、楽しそうに過ごしていた。
帰る時間になってももう少し、とお寺を回って
少し遅れて乗り込んだ施設の車の中で

「あなたは休めた?ずっと働いてたんじゃ大変でしょ。」

と言ってくれた。

優しい人だった。

それから僕は、必死に勉強をした。
病気のこと、症状のこと、薬のこと、制度のこと、認知症のこと、介護技術のこと。
わからなければ看護師さんや栄養士さんを捕まえて聞いて。
リーダーにも色々質問をして。
外部の研修にも、介護職の集まりにも参加するようになった。
とにかく知識と経験を増やしたかったから。
今のままじゃダメだ。もっと知らなきゃ、もっと学ばなきゃ。

だって僕は介護福祉士なんだから。

その時僕は初めて、介護福祉士になったように思う。
資格を取った日でも、学校を卒業した日でも、仕事を始めた日でもない。

介護福祉士としての自覚を持ち、学校では学べないことを自ら学ぼうとしたその日に。

Kさんはそれから程なくして亡くなった。
遺影には、お寺で撮った写真を使ってもらったと聞いた。

あまり人に興味がなく、過去の記憶も曖昧な僕が、唯一しっかり覚えている2ヶ月間の出来事。
お顔も、声も、笑い方も、車椅子に座ってる時の姿勢も、ソファでうたた寝してる時のことも
全部覚えてるなんて珍しいなと自分でもおもうけれど、それくらいKさんのことは覚えている。

これからも頑張ります。

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