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暴言(ヤケ⑤)(9/16)

スピリチュアリズムを僕くらい深く学んで、それでも尚自殺するというのは、それこそ狂ってるというべき事象であろう。そう、狂気の沙汰としか云いようがない。そして僕は何遍も何遍も狂っている。まあまあ、良く生きているものだと思う。辛い40年であった。長い長い40年であった。スピリチュアリズムが無ければ、多分、もう現世にはいない。自殺して後悔しているか、あるいは自殺したことに気付かず、憑依して自殺を何遍も繰り返している筈である。罪なことだ。
しかし、本当に長い40年だった。体感としては100年は生きている。「人生はあっという間」だって!?フザけろ、バーカ。長すぎんだよ!バーカ。0才代からしてシンドかった。小学校低学年では万引きをたまにしてた。9才で「独りで生きていく」と強く思ったが、その時の校舎のザワツキ、床の緑色、まざまざと鮮烈に刻まれている。小学校では良く考えた。考え過ぎた!!言葉も知らなかったのに考えたから、記憶は飛び飛びであり、鮮やかなものと空白の0才代であった。あれだけ考えたら、大脳とて肥大する筈だ。「小学校の時の方がシッカリしていた」と中学になって言われたのは、まったくその通りで、考えない期間がないと脳は壊れると思う。高校はまた考え、大学はショートして無思考、と交互に繰り返していた。中学校、勉強しなくても成績が良かったのは当たり前だ。クラッカーである。小学校で記憶が飛ぶ位考えたのだ、中学校程度の単純な勉学は易しかった筈だ。
前世は悪い奴だったに違いない。間違いないよ、これは。これだけ自殺を若い時から考え、死ぬに死ねない。幸いだか不幸だか…。だが、スピリチュアリズムは僕を幸わう。僕の人生に意味すら与えてしまった。感謝だよ、バカヤロー。生きてやんよ、クソッタレ。いや、「ウンコ召し上がれ」と言い直す。「クソクラエ」である。人生がシンドイって?当たり前だ、バカヤロー。

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