陶子

「気鬱ですな」

「は?」

最近娘の陶子の様子がおかしい。
ぼうっとして空ばかり見て、声をかけても上の空。
焦点の合わない虚ろな目で一日中じっとしている。
以前はよく弁の立つ、快活な娘だったというのに。

私は何かの病だろうかと思い、陶子を医者に診せた。その間も、何を言うでもなくただ私がするのに大人しく陶子は付いてきた。ふらふらと覚束ない足取りで。

「気鬱、といいますと?」

医者の発言が飲み込めず、おうむ返しに私は問うた。

「ですから、気鬱ですよ。気の病です。体はどこも、悪いところはありません」

「は」

突然そんなことを言われて、私は面食らってしまった。
気鬱?気鬱とはなんだ。どういうことだ。

「それは、どういう病気なのでしょう?」

「娘さんは、前は快活で弁の立つお嬢さんだったのでしょう?」

「はい」

「あなたは、そんなお嬢さんになんと」

「それは、女がそんな口をきくものじなない、親に逆らうようなことを言うものじゃないと言って聞かせましたが」

「それで、娘さんは納得しましたか?」

「いえ、それが中々強情な娘でして、女だから、子どもだからといって意見を述べてはいけないなんておかしいとかなんとか」

「そうですか。それは、周りの人も同じ意見で?」

「当然です」

医者はカルテに何か書きつけると、続けて言った。

「娘さんは、もう戻ってこないかもしれません」

「戻ってこない?どういうことです」

「心を閉ざしてしまったのです。あなたや、周囲のその態度に」

「私達の態度に、何か落ち度があったとでも?」

医者はため息をつきながら首を振り、

「それがわからないからこそ、なのですよ」

と言った。


残念ですが、私にできることはありません、と医者は言って、私達を帰した。

何というヤブ医者か。適当なことばかり言いおって。

娘は、陶子は一生このままだというのか。

隣に佇む娘を見て、わたしは思案した。
一見してはわからないが、少し様子を見ていれば常態でないことはすぐわかる。
娘がこのままだと言うのなら、嫁にやることもできまい。

どこかに、隠さなければ。

私は家に帰ると、娘の部屋を家の離れに移した。
離れには水場も厠もある。食事を運べば、あとはそこから出ることなく生活できる。

人目につくことなく、陶子は一生そこで過ごすことができる。

一生あのままだというのだから、しかたあるまい。

陶子は何ひとつ言わず、言われるがままに離れに移った。

これでひとまず安心だ。娘のことは残念だが、医者にも治せないというのだから仕方あるまい。




何事もなく日々が過ぎ、娘のことも少し忘れかけていた、ある日の晩のことであった。

かりかりかり
かりかりかり

眠っていると、何かを引っ掻くような音が聞こえた。
うるさいなあと思いながら微睡んでいると、次第にその音は大きくなっていった。

かりかりかり
かりかりかり

さすがに無視できなくなった私は、目を開けて辺りを見回した。
すると、障子の向こうに人影のようなものが見えるではないか。

「ひいっ!?」

人影はさらにかりかりという音を続けた後、障子をどん!どん!と叩き始めた。

「ひやあっ!?な、なんだ、何なんだ!?」

私が堪らず叫ぶと、人影は呼応するかのように声を発した。

「あけて…あけてよ…ここからだして…おとうさん」

まるで地獄の底から響いてくるような不気味な声だったが、おとうさん、と、確かに言った。

「陶子…?陶子なのか…?」

私は恐る恐る障子を開けると…そこには、何もいなかった。

静かな夜の空気だけか、そこにはあった。

今のは、夢…だったのだろうか?

私は陶子のいる離れへと足を向けた。

夢だ、きっと。

何の痕跡もない。

悪い夢だ。

ひょっとしたら私は陶子を離れにやったこと後ろめたく思っていたのかもしれない。
誰にも合わせないようにして忘れようとしていた罪悪感が、夢となって現れたのかもしれない。

であれば少し接し方を考えるべきか。
何もひとりきりにして置かなくても、誰か話し相手くらい雇っても…。

そう考えを巡らせているうちに、離れについた。

「陶子」

声をかけるが、返事はなかった。

「開けるぞ」

離れの障子を開けた私の目に、飛び込んできたものは



#創作 #文

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