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性は生。性欲の強さは生命エネルギーの強さ。

私は「性=生」と捉えています。
そして、「性欲の強さは生命エネルギーの強さである」とも捉えています。
性欲が強いことを恥ずかしく思う人もいるかもしれませんが、生命エネルギーの強さである、と考えると、その性欲は全肯定され、生命エネルギーも生き生きと動き出すような感じがします。

私には忘れられない思い出があります。
それは私が手術をすることになって、術前検診でHIV検査をした時のことです。
何もなかったので、母親に
「HIV検査もしたけど、何もなかったよ~。良かった~。」
と伝えたところ、母親から返ってきた言葉が、
「はしたない!遊んでばっかりいるからそういう発言が出るんでしょ。」
でした(苦笑)。
母親からそのような発言が出たことは私にとっては結構な衝撃でした。なぜなら、私は術前検診で何も問題がなかったことを伝えただけだったからです。「何もなくて良かったね」という発言が返って来るとばかり思っていたので(笑)、尚更どうして母親から上記のような発言が出てくるのか、正直すぐには理解出来ませんでした。今、その時の母親の発言から想像してみると、母親は私が誰とでも肉体関係を持って、性に奔放だと勘違いでもしたのかもしれないな…とは思います。
しかし、私は性に奔放な訳でもなく、誰とでも関係を持つというようなタイプではありません。むしろ、好きでもない相手に触れられるのは嫌ですし、苦痛を感じます。そんな私が誰とでも関係を持つ訳がない!(笑)
その発言を聞いた時、私は母親と性的な話を絶対にしてはならない、とも思いましたし、無意識ではあったものの、そのように決意したとも言えます。何を言われるかわからないし、性に奔放だと思われるのも嫌だったからです。そして、その時に私は自分の中にある性欲についても「あってはならないもの」と決めてしまったのかもしれません。
が、今思うと、もしかしたら、母親が性に関して嫌悪感があったのかもしれません。

性に奔放であることと、性欲が強いということは同意語ではありません。
そして、私は自分の性欲が強いという自覚を今は持っていますが、元々はそういう自覚はまるでありませんでしたし、こういったことを口に出していう人ではありませんでした。また、こういう話をすることについて、下品だ!はしたない!と本気で思っていました。きっと母親の影響からそう思っていたのだろうなと感じます。
それなのに、どうして今、こうやって書いているのか?(笑)

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