友達がいない、なんて言わないで、大事な友達って呼んでごらん。

ご存知の方が多いかもしれませんが、私は根暗です。夫には良く「よくそんなに次から次へとネガティブな解釈が出てくるね!天才なの!」と感心されます。

逆に、他人の話を聞いてポジティブに変換する、という特技もあります。今度なにか私につぶやいてみてください。無理矢理ポジティブ変換してお返しします。

「女優さんなんかやってると、自己肯定感の塊なんでしょ」と良く言われますが、むしろ私は足りていない方だと思います。私はこれまで、本当に奇跡的にいろんな方との出逢いに恵まれて、俳優業を続けてこられています。その時々にベストを尽くすべくお仕事をさせていますが「俺最高!」と心の底から思うことはまずありません。いや、頑張っているし、目指しているし、よく出来たなぁと思うこともありますが、手放しに自分の功績を讃えたりあまり出来ないタチなのです。誰かからそう言っていただけたなら「ありがとうございます」と答えるし「綺麗ですね」「かわいい」などの容姿の褒め言葉にも「ありがとうございます」とお答えします。それは私が「とんでもないです」と否定することは相手の感想を否定することになるし、容姿については、歳上の女性にお叱りを受けたからです。「あなたくらいの容姿で、容姿を褒められたのに否定したら、むしろ失礼だ」と。非常に納得して、自分はそう思っていなくても、褒めていただいたらお礼をお伝えするようにしています。

いつだったかSNSに「ブスがテレビに出るな」というコメントをいただいたことがありました。そうなんです、ブスなのにテレビに出させていただけている奇跡に感謝しています。でもブスはブスなりに需要があるのです。いや、だからテレビに出られている、と信じたい!信じないとやってられない!のです。この仕事。

いえいえ、でもね。福原充則さんの「墓場、女子高生」のセリフじゃありませんが「私、こんなに自分でブスブス言うほどは、ブスだと思ってないんだけど!」とも付け加えておきますけどねっ!可愛い、綺麗、が必要な職業だとも思いますから、そうありたいとは、願いながら生きているつもりではあります。「ブスはブスなの。ただこのままブスで終わるつもりはないって話。ブスって現状を認めた上で、ここから快進撃をするの。明日のカワイイに向かって!」(ああ、福原さんの台詞、最高です。女子高生のナカジのようには、私は快進撃をできないかもしれないけどね)

少し話を戻しますと、まあ、そんなわけで、私はそれくらいの自己肯定感の低さで生きております。コロナのニュースが毎日伝えられるようになって久しいですが、私はいくつかのお仕事がなくなり、3月に入ってすぐ自主的に外出自粛して生活していました。もう4月も後半。外出自粛も長くなってくると人恋しくなってきますが、もともと定期的に遊ぶ友達もほとんどいない私。俳優業は基本的に常に待ちの仕事なので、先の約束がしにくく(予定を入れるとそこに仕事が入ったりしてドタキャン!なんてことがザラ)、子育てもありますし(熱が出て保育園お休みになってドタキャン!なんてことがザラ)、しかもそもそも私は誰かを誘うのがすこぶる苦手なのです。

でも、日常ではお芝居を観に行けば知り合いと会って挨拶することもあるし、話に花が咲くこともあります。(お芝居は勿論、その仲間に会える時間が最高に幸せをくれる事が多いです)現場に行けばスタッフさんや共演者の方とお話しもできます。ただ、子供が生まれてからはそのままその流れで飲みに行くことはあまり無くなりました。だからむちゃくちゃ流行ってるというリモート飲みのお誘いなども一切無く、つくづく自分は友達がいないなぁ〜なんて思って過ごしていたんです。ネガティヴにそう思い詰めている、とか言うことではなく、ナチュラルにそう受け止めていたのです。

しかし先日、ママ友と話している時に不意に言われた言葉が刺さりました。

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育児や家族のこと、最近考えていることを話していたら、自分でもびっくりするくらいパツンパツンになっていて視野が狭くなっていることに気がついて。パツンパツンのはち切れそうな私をみて、彼女が言ってくれたのです。「なんのための友達だよ!一緒に息抜き探そうよ!」と。

びっくりしました。ママ友って、子育てを助け合う仲間だとは思ってたのですが、私個人とそのママが友達、だったなんて!考えてみれば、彼女にとっては失礼な話です。「こんなにいい友達がいるのに、頼らないなんて!」とも言ってくれました。私はこうやって、自己肯定感の低さから、身近にいる大切な人たちに失礼をし続けてきたのかもしれません。反省すべきです。彼女の言葉を反芻しながら反省しています。

でも、正直、こんな風に気がつかせてくれる友達が今は、本当にありがたい。私は友達を頼りにしてみることにしました。話をして、話を聞いて。この危機を家族みんなで健やかに乗り越えたいと思っています。今まで私が自己肯定感の低さから、友達、と私が勝手に呼ぶのがおこがましいと思って誘ってこなかった、私が勝手に友達だと思う人にも、たまには勇気を出して連絡してみようと思います。

だから、これが届くかわからないのだけど。友達がいないって言っているこどもたちよ、おとなたちよ。友達がいない、なんて言っていないで、あなたのその思い浮かぶ大切な人を友達だと呼んでごらん。

自己肯定感はこの際一旦横において、あなたが大切だと思う人を友達って呼ぶことは、きっとこれから先のあなたの世界を明るくしてくれるよ。幼い頃の、いや、昨日までの私もそう思えていたら、こんなにパツンパツンになっていなかったかもしれないのです。

そして、こんな私を友達だと思ってくれている皆様に、この場を借りて感謝しております。みんな残らず愛してる!元気ですこやかに過ごそうね。



積もり積もった『ちょっとやってみたいけど、やらないでいること』のために使わせていただきます。佐藤みゆきという1人の人間に何が出来るか、私もまだ手さぐりですが、何もしないで悶々と悩むするよりは、何かしながら考えていこうと思っています。