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レッテルを貼ることのない関わり
「自閉症」について、少しの知識がある人には「自閉症は大変だ」という印象があるようだ。
この大変だという言葉については、私がある放送会社の面接で2度も聞いた言葉であった。
2人の面接官と対面したのだが、「自閉症の子どもと関わる」という私の発言に対してそれぞれがまったく同じ「自閉症は大変だよねぇ」という返答とも質問とも言えない感想が返ってきた。何が大変だと思うのかを聞きたいと思ったが、うまい切り返しができず「自閉症も普通の子どもと変わらないですよ」としか言えなかった。
日々自閉症と関わる中で様々な困難を抱える人が言うのなら納得できるが、この対話は私が自閉症についてのレッテルについて認識した大きな出来事であった。
レッテルとは、「ある人物や物事に対する特定の評価」であって“特定の評価”は決して素晴らしいものとは言えない側面がある。
さらにレッテルが「普通、一般人が持ち、また、持っているべき知識」として「常識」と化すことを危惧する。
すでに、自閉症は大声をあげる、しゃべらない、言うことを聞かないなど一部の例が先行し「大変なもの」として捉えられ常識と化している。
内面から見る個々の存在や社会での相関関係においての評価(レッテル)はほとんど存在していないか、一部の関係者にのみ浸透している常識であるかもしれない。
私が言いたいことは、自閉症に対して「大変だ」というレッテルを貼るのではなく、内面から見る個々の存在や社会での相関関係など様々な側面を見て各々の価値で自閉症というものを判断してほしいということである。
自閉症の当事者として、自身の過去・現在について語るドナ・ウィリアムズによると自閉症スペクトラムとはフルーツサラダに例えられる。
一個のリンゴにしか見えないのならば、それはただのレッテルで、自閉症スペクトラムはたくさんのフルーツが混ざっている。しかもよく見ると材料や分量、品種も違ってくるという。
自閉症スペクトラム障害に貼られたラベル(レッテル)が、実のところたんなるひとつの解釈、さらにいえば神話にすぎないことに気づいていただけるだろう。確かに、ある症状が存在している。
だがそれは単一の症状ではなく一群の症状――クラスターかもしれないのである。
自閉症についてよく知らないうちはマニュアルを探そうとして、大抵クラスターに貼られたレッテルに安心感を持つことになる。
「レッテルを常識的なものの見方とすることで、私たちに「他の人と同じだ」という安心感を与える」というように、心地よい「決まりきったものの見方」にはまってしまうことで複数の側面に目を向けるのを怠るのだという。
実は、フルーツサラダのように多様なものであるという側面への理解が必要であると考える。
(2010)
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