素直に祝えない。

先日、好きだったアーティストが結婚しまして。

いちいち伏せるのも面倒なので、BUMP OF CHICKENのボーカル藤原基央(ふじわら もとお)さんです。以下「藤くん」で。

藤くんはもう41歳なんだけど、純粋を人の形に固めたような人で、必然的に人と交流がないのかなオーラが出てる感じの人です。
(中学でこういう事を言ってると職員室行きです)
いや、それも性格の一つだし、自分もそうだったし、いいんですけど。

それが突然の結婚報告。
日曜深夜3時のラジオで一言言っただけで、そのままいつも通りのトークを続けていきましたが、なんというか、モヤッとするというか、気持ちが自分が置いていかれる感じがしますよね。

私はします。
↑こういう主張は大切です。あなたはあなた。私は私。

ずっと考えてた結果、藤くんが一生で結婚するか否かその他などを数パターン考えて、そのうちどれがいいかな、それについて自分はどう思うんだろうなあ、って考えてみたのでここで発表します。
・女性に興味がないまま一生を終える藤くん(アリなんだけど、ねえ)
・女性に興味があるのにうまくいかない藤くん(映像化決定)
・女性と浮名を流しまくる藤くん(それはどうなんだ、でも嫌いじゃない)
・定例行事のように結婚と離婚を繰り返す藤くん(それもなんだか)
・実は結婚してるのに報告してくれない藤くん(それは嫌だなあ)
・ある日突然結婚報告をしてくれる藤くん(モヤッとするけどベスト!)

あ、そういうことか。
これもまた、おめでとうなんだ!

知ってる人が結婚したら「おめでとう」と思わないといけません、という、大人なら誰しも知っている(教育されてきた)押し付け、
自分の他人への嫉妬というものは認めたくないものだ、という葛藤。
このあたりが、胸のつかえの原因なんだな、きっと。

こうして文章化して「自分の、この、モヤッとする気持ちを理解できる」のは、先人の知恵によるところだと思うのだけれど、ありがたい。
最初に明確化したのは誰だろう。ソクラテスのような聞いたことある人なんだろうか。ちょっと気になる。
それ以前の人って、そういう時の気持ちの処理、どうしてたんだろう。

で、私の人生において何度か発生した
「知人もしくは知っている人が結婚した時における、いわゆるそういう気持ちが発生しなかった件についてはどう考えるのか問題」
がひっそりと発生しているのですが、これはもう吐露してしまうと、
推定そこまで重要じゃなかった
これなのかなあ。それっぽいよなあ。まあ仕方ないよなあ。
何が重要じゃなかったか具体的に説明してしまうとトゲが立つよねえ。
だから「友情・愛情・関係性の欠如」とか言いません。ええ。

自分のなかでまるっと飲み込めるようになるまでするのに随分時間がかかりました。いやー、よかったよかった。
という「そういうことがありました」と「私は大変思慮しました」という話でした。


あ、そうだ。

で、その結婚報告が8月24日で、11日前の話なら、その前のnoteの約1か月間の空白はなにっていう話ですが、これはもうシンプルに
ネタがなかった
本当にそれだけです。だからいつか言ったじゃない。書きたい時に書けばいい、書きたくない時は書かなくていい、自動投稿できる人は「今日はありません」とでも書いておくといい、って。

「書きたくない時は書かない」という有言実行。いいね!

(もう少し書こうね←自分へ)


#BumpOfChicken
#結婚 について

遅くなったけど、

#藤くん結婚おめでとう

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