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映画「エゴイスト」

エゴイスト


お久しぶりの記録

エゴイスト観てきました。ずっと、気になってた
幅広い役を演じこなす鈴木亮平さんと、映画「his」で出会ってからずっと気になる存在な、宮沢氷魚さん。そして、扱う内容がジェンダー。「エゴイスト」というインパクトのあるタイトル。これは観るしかないとずっと楽しみにしていた。

以外感想。いつものようにごちゃごちゃ見づらいですが、思ったままをそのままに。
お付き合い頂けると幸いです。

愛って…?

愛って何だろう。愛には様々な形がある。
だから何が正解ってのがないのかも。
与えることが自分の愛情表現、相手に尽くすことで自分も救われてた?
ハイブランドの服を自分の鎧として身につけ、周囲から自分を守って生きてきた。自分は周りとは違う、ランクが上の人間とでも言うかのように。プライドが高そうで、ゲイ仲間ともよく集まり、仲良く下世話な話を交わしている。自分がゲイであることは自覚してるし否定するつもりもない。けどどこか怯えている。世間の目に対して?

けどその鎧を脱ぎ捨てて、ありのままの自分でいられる相手、龍太に出会う

龍太は、子供の頃に父親が蒸発し高校を中退して自分の身を売って、1人育ててくれた母親を養って生きてきた。当たり前だけど、生きていくために身を売ってきた。いずれはパーソナルトレーナーとして、頑張る人を支える仕事がしたいと願っていただろうけど、若い龍太には厳しく稼ぐには身を売るしかなかった。そんな龍太の前に浩輔が現れた。

この世は地獄だけじゃないことを教えてくれた、大切な存在。若い時から身を売って生きてきた、不特定多数の男たちとその場限りの関係性をいくつももってきた龍太にとって、"本当に愛されているという実感"を惜しみなく表してくれる浩輔という存在は、救いだったに違いない。

エゴイスト


エゴイスト…利己主義者、わがままな人
エゴイストだなんていうけど、みんな生きてりゃ誰でもエゴは持ってしまうものなのでは

浩輔の過剰とも言える献身ぶり(お高いお寿司や和菓子などを会うたびに渡したり、龍太のためだと言って高いイタリア製?の洋服をあげたり、ついには生活費を出したり。)には、ちょっとやり過ぎなのでは??と思い、どこか入りきれないでいた自分の感覚。
ただこの感覚が(おそらく)正解なんだと気づかせてくれたのが「エゴイスト」というタイトル

浩輔にとっては、自分ができる最大限の愛し方。もしかしたら、浩輔自身が揺らいでいた「自分のために、自分のわがままを聞いてもらっている」というエゴの気持ちがどこかにあったのかもしれない。だけどそこで表されていたのは浩輔にとっての、人生で得られた初めての「愛情」なのではないか。「自分がしてあげられることで相手に幸せになってもらう。それが自分の幸せ。」とでもいうかのように。

浩輔は、14歳で母を亡くした。大きくなったらお母さんの病気を治す為にお医者さんになりたいと。おそらくまだ母親に色々してあげたかった。母のために頑張ってる龍太を見てうらやましいとそう思ったのもそのため。

ただその浩輔の持てる最大限の愛に違和感を覚え、浩輔の言動にはエゴがあると思えてしまう私こそ、エゴイストなのではないか。そんなことを思ってしまう。どうせ他の人のためじゃ無くて、自分のためでしょ、自分が人を助けることで気持ちよくいられるからでしょ。なんて冷酷なことを思ってしまう自分。

いい意味で取り残されている私、またじっくり考えてから観たい


「エゴ」という単語が作中に出てきて、主人公の浩輔を揶揄するのかと思っていたら、作中では「エゴ」という単語は出てきていなかったと思う。浩輔の、龍太を愛しているからこその、金銭も絡む与える行為。浩輔の愛情表現。
それは龍太に苦しい思いをさせないようにと思っての事であると思う。けどそれは周り回って自分のためにしていること。龍太に尽くし、龍太を通して妙子お母さんに尽くすことで、自分の母親に対してやりたかったことを昇華させていると捉えることもできるのでは?と。あるいは、自分が与えることで相手を自分から離さないようにする縛りのようにも。結果として自分を守るための鎖みたいな…
自分の鎧を脱ぎ捨てられる相手に初めて出会い、育んできた、人を愛し、愛される感覚。愛する人を失い、行き場を失った愛情が宙に浮いてしまう。そして、この自分の愛情は誰の為のものか?と疑問を抱いてしまう。これは自分の「エゴ」なのではないか?と。自分のわがままを押し付けることで相手を救い、相手を救うことによって自分も救う。相手のためではない、自分のため。本当に相手を愛しているのか?その葛藤が胸を締め付けた。
そのわがままの押し付けに対しての妙子お母さんの言葉、「受ける側が愛だと感じたら、それは愛なんだ」という言葉に救われた


浩輔はおそらく、龍太と妙子お母さんに自分と自分の母親を重ねている。14歳で自身の母を亡くし、自分が母親に対してしてやれなかったことを、日々一生懸命、自分の身を売りながらも健気に生きている龍太に重ねて見ているのかな。
龍太が亡くなった後も、妙子お母さんへの金銭的援助や身の回りのお世話を続けるのはそのため?
となると、自分は龍太のことを、妙子お母さんのことを本当に愛していたのか?という疑念が浩輔自身の心に影がさす

LGB+Qのマイノリティに触れていくお話だと思ってたけど、違った。深い愛のお話。


表情のアップシーンが多く、カメラワークや音楽の少なさから、ドキュメンタリーを見ているような感覚になった。

鈴木亮平、宮沢氷魚、阿川佐和子さんの演技が素晴らしすぎる
鈴木さん演じる浩輔、というよりも、この物語の中で生きる浩輔だった。
宮沢さんの龍太も純粋無垢で、女手一つで育ててくれている母親を支えようと必死に、健気に生きている姿が本当に等身大のようで

わがままの押し付け合い
受ける側が愛だと感じたら、それは愛なんだ
「あなたにはわからなくてもいい、受け取った私たちが愛だと感じたのだから」

行き場のないさまよう愛の所在の着地地点、
自分にとって大切な人の大切な人も、結局はただの他人。どれだけ困っていても、人としてのプライドというか、倫理観、越えられない壁はある。その壁をそっと取り除いたような、最後に救われた。病気の母親を介護していた時、大変だとは思わなかったかの質問に対して、父親の答え
「出会っちまったもんは仕方ない。仕方ないからそのままで行くしかない」


「エゴイスト」というタイトルは、物語の初めと終わりに出てくる。2回も出てくる映画はあまりないのでは??
初めに見た「エゴイスト」と、最後に見た「エゴイスト」に、あなたはどのような感情を抱きますか?
そう問われているような感じがした。

毎回着地点の見えない自分の文章は何を伝えたいのか、言いたいのかわかりませんが、私の記録として。今回もだらだらと、思ったままのことを書きましたが、ここまで読んでくださった方には感謝いたします。

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