見出し画像

100万円のベッド

 2018年3月。どうやら俺は大学受験に失敗したらしい。らしい。はじめは本当に他人事のように感じていた。でもちゃんと自分のことで、しかも現実だった。瞬間、大きな心音となって現れたその焦りは、いかに現状を深刻な空気感にならないよう乗り切るかという考えに俺を駆り立てた。

 どうしても大学に進学したかったわけではない。みんな行くから。親が行ったほうがいいと言うから。大卒だと就職に有利だとされているから。そんなようなところだ。特別何かを学びたかったわけでも明確にやりたいことがあったわけでもない。合格する自信があったし、万一受験校すべて不合格でも働けばいいや、なんて軽い気持ちで受験期を過ごしていた。だから実際に不合格の文字を目にした時、ここまで焦る姿が自分でも予想外だった。

 数学はなかなか苦手だったにしろ、勉強自体はできなくなかったし、苦でもなかった。志望大学の配点的に数学は多少低くても問題なかったし、何にせよ他でカバーできるだろうと自信満々だった。実際は問題大アリだったわけだが。

 模試の成績も、まあ悪くはなかった。第一志望の判定こそ伸び悩んでいたが、並行して受ける予定の大学の判定はどこも合格圏内だった。これがマズかった。受験生特有の不思議な全能感を加速させてしまった。第一志望が合格圏内に入らないのは相手が浪人生だからだ。そりゃあ勝てっこないよ。でも大丈夫。試験当日まではまだ十分に時間はあるし、毎日欠かさず勉強していれば必ず合格できるさ。たまたま模試に結果が現れなかっただけで過去問は結構解けているじゃないか。そう自分に言い聞かせ続け、いつしかそれは俺に自信をみなぎらせた。セルフマインドコントロール。しかしその自信は学力が裏付けてくれるものではなかった。残念無念。

 無駄な自信が肥えていくにつれ日々の勉強の濃度は低くなっていった。一日の勉強時間が減っていても、それは俺の理解力と解答速度が上がっているからだと考えるようになった。そのおかげで見事なまでの受験失敗確実モンスターが生まれた。そしてそのまま流れるようにセンター試験当日を迎えた。しっかりダメだった。でも落ち込まない。だってもうモンスターになっちゃってるから。怪物は落ち込んだりなんかしないよ。第一志望の国立大も足切りを受けた。友達が言うには、俺は足どころではなく腰くらいから切り落とされていたらしい。それでも落ち込まないよ。強いモンスターってのは核を壊さない限り倒せないんだぜ。

 言うまでもなく私立大学の結果もすべてダメだったわけだが、とうとう落ち込んだ。この化物の核は私立大学だったのだ。それだけが頼みの綱だったのだ。そりゃあそうだ。合格すると確信していた。そういうわけで冒頭部分に戻るのだが、進路を閉ざされた俺はその現実を自分のものとして受け入れられなかった。働きに出ることも選択肢にあったはずなのに、どうしてもその姿が想像できなかった。弱い。いろいろと事情があって経済的に厳しく、浪人だけはするなと言われていた。勿論現役合格しか見えていなかったから初めからそんなつもりはないのだが。就職も浪人も見えていない。やりたいこともない。陽気なだけ。だから現状をどう乗り切るかに集中しなければならなかった。それ以外になかった。


 とりあえずアルバイトを探して、先のことはそれから考えます。親にそう伝えた。ほとんど泣きそうだった。なんと怪物の正体は自分の将来がちっとも見えていなければ考えてもいない可哀そうな人間だったのです。ところが親から返ってきた言葉は「浪人するしかないよね」だった。いいのかよ。驚いた。俺の将来は親の一言でこれほどにも簡単に決まってしまう。こうしてあっさりと俺の浪人生活開始の汽笛が鳴らされた。

 浪人する高校の友達も多く、その内数人は同じ予備校に通うことになった。浪人するにしてもどこにも通わずやろうと思っていたが、どうせやるならちゃんとやれということでそうなった。勿論ちゃんとやりますよ。そう意気込んで春休み中もほとんど毎日予備校の自習室に駆け込んだ。受験シーズンがひとまず落ち着き、空席の目立つ自習室は居心地が良かった。広い自習室と狭い自習室があり、狭いほうを好んだ。この予備校を選んで良かったと思った。自分の将来のいいイメージが見えた。あの意味不明な自信から来るものではなかった。

 4月になっていよいよ本格的に授業が始まった。3月から大きく助走をつけていたこともあり、かなりいいスタートダッシュが切れた。授業もついていけているし、それ以外の勉強時間も確保できている。すでにクラスに嫌いな奴が何人かいるけどそれはいい。順調順調。何も問題はない。右肩上がり。そう感じていた。結局俺は、そのまま何事もなく、見事なまでにペースを崩さず夏期講習まで走り抜けた。素晴らしい。よく頑張りました。


 夏に実施された模試がきっかけだった。B判定。すごく嬉しかった。今までずっとC判定だった。努力が報われるとはこういうことだ。休んでしまいたくなることもあったけど俺の積み重ねは無駄じゃなかった。本当に嬉しくて友達に結果を見せに行った。よかったね。そう言ってくれた。友達も教えてくれた。A判定。素直に喜んであげられなかった。おめでとう。よかったね。すごいね。何一つとして出てこなかった。受験勉強より大事なことなのに。俺は本当にクソ野郎だ。

 その友達もずっとC判定だった。それがいきなりのA。飛び級だ。同じ高校同じ志望大学同じ教室。判定だけが違った。壊れてしまった。ずっとペースを落とさずに走り続けていた。このままゴールテープを切れると思っていた。よくある小石。そこらに何十、何百と転がっている小石。この先もずっとあるであろう小石。それに少し躓いただけ。だけどもう、前と同じようには走れなかった。俺にとっては隕石だった。潰されてしまった。壊れてしまった。

 6時57分。電車に間に合わない日が増えた。友達と一緒に乗っていた電車。定期忘れた、先行ってて。そんなメッセージばかりが増えた。褒めることもできなければ謝ることもできない。クソすぎる。だんだんと授業にも出なくなっていった。この時期になると所謂授業を切る人たちが出てくるようになっていたから、そいつらに紛れるように休む日が増えた。遅れて登校して、1コマだけ出て、すぐに帰る。そしてそれもすぐになくなった。

 両親も兄も朝家を出るのが早かった。玄関のカギを閉めるのは俺の役目。だからいつも通り起きて朝ごはんを食べさえすれば誰にも怪しまれなかった。みんなが家を出た後にやることがあった。自分の靴の配置を少しずらす。その靴で出かけた風を装わねばならない。むしろそれ以外のことはやってはいけなかった。家にいた証拠を残してはいけなかった。飲まず食わず。ただ仰向けになるだけ。完全犯罪だ。誰かが帰ってきたら喉の渇きを癒やしトイレに急ぐ。自習室には寄らず、授業が終わってすぐに帰ってきた。自習室は混んでいるから家のほうが捗る。そう伝えた。嘘ならスラスラと出てくる。そういう日々を過ごしていた。

 時々、今日は大丈夫だと思う日があり、電車に乗って予備校に向かうことがあった。リュックに参考書を目一杯詰め込んで乗り込む。でもどうしても不安になって、眩暈がして、吐き気がして、おなかが痛くなって、汗が止まらなくて、途中で降りてしまう。満員電車の全員が俺を責めているような気がした。ホームの待合室で少し休憩しよう。待合室には色々な人がいた。化粧をする人、新聞を大きく広げて読む人、音を出しながらゲームをする人、終わっている俺。彼らは目当ての電車が来れば当然待合室を出る。俺だけがいつまでも閉じ込められたままだった。俺は他人様に迷惑をかけているわけじゃない。それなのにどうしてこんな奴らばかりが前に前に進めるんだ。絶対に見返してやる。行き場のない怒りが俺を鼓舞した。数時間して家に帰る。次は大丈夫。次こそは。何度試しても結果はいつも同じだった。石神井公園駅のトイレは俺の吐瀉物処理場になった。もうこれで最後にしようと決意し挑戦した日もやっぱりダメで、駅のゴミ箱に参考書を捨てた。


 秋になってセンター試験の出願票を受け取った。親に言われてすぐに出しに行った。電車に乗らなくても出しに行けたし、何より疑われたら終わりだった。ついでに高校に調査票を取りに行った。7枚。受験料も馬鹿にならないし、受けるなら5校までと決めていたが、念のため7枚。ラッキーセブン。それにしても勉強はしなかった。生活は変わらない。

 部屋が寒くなって冬に気づいた。暖房はつけない。電気代でバレてしまう。勉強の調子はどうだ、と聞かれる回数が増えだした。調子いいよ。大丈夫。心配しないで。嘘ばっかり。不安を隠しながら今まで通りのひょうきん者を演じ続けた。

 年が明けて1月、センター試験まで約2週間となった。サンドウィッチマンの伊達さんはカロリーは年を越せないという嘘を笑いながら言っていたが、俺はそれを大真面目に受け取った。笑えない。笑っていられない。今の俺には嘘しか信じるものがない。終わっている俺は置いてきた。切り替えるぞ。そう気持ちをリセットして、いよいよ勉強を再開した。


 必死になって勉強した。失われた月日を取り戻そうと躍起になった。全然覚えていなかったけど、久しぶりの勉強はそれはもう楽しかった。知識がつく喜び、問題が解ける快感、そのすべてが新鮮で、そして苦しかった。どうしてあそこでやめてしまったのだろう。どうして続けなかったのだろう。どうして誰にも言わなかったのだろう。どうして嘘をつくのだろう。どうして喜べなかったのだろう。言葉が反芻する。

 当然結果は芳しくなかった。そりゃあそうだ。そううまくはいかない。ここは現実だ。妄想なんかじゃない。進研ゼミなら試験会場で会ったあの子と実は志望大学が同じで二人ともめでたく合格してそのままお付き合い、なんて流れに持ち込めただろうに。

 試験結果が悪かったことはちゃんと悔しかった。もっと勉強していれば。やっぱりそう思ってしまうけれど、そう思えていることが嬉しかった。点数なんてどうだっていいと思っていたら、本当にここで終わっていた。それ以上に、会場の最寄り駅までの電車、駅から会場までの送迎バス、試験会場、その空間を耐え抜けたことがどうしようもなく嬉しかった。元に戻れた。俺は元に戻れたんだ。声に出して何度も繰り返した。生まれ変われる。

 受験する大学は全体的に現役時代よりも偏差値を下げて出願した。勉強していないのだから当たり前ではあるけれど、偽自信家の俺にはそのうまい言い訳が思いつかなかった。両親は何も言わなかった。最終的に国立大学と私立大学3校、計4校に書類を郵送した。机に向かった。


 私立大学1校目。遅刻しないように試験時間の一時間前に着くつもりで家を出た。結局道に迷って時間ギリギリにたどり着いた。ヒートテックとカイロの熱で汗が止まらない。周りに座っているこの人たちはみんな俺より年下で、年上の俺が汗だくで。例えようもない恥ずかしさと情けなさのあまり冷静でいられなかった。

 私立大学2校目。先日の失敗を踏まえヒートテックは着ていかなかった。会場に向かう電車の中に学生2人組を見つけた。リュックを背負ったまま談笑する彼らを見て、俺は心の中で彼らに賭けを申し込んだ。もしお前らが俺とは別の目的地に向かっているのなら俺の勝ち、まっすぐ試験会場に向かわせてもらう。俺たちが勝てば?彼らは問う。もしお前らの目指す先が俺と同じなら俺の負け、俺は試験を受けない。電車の中で周りの迷惑を考えられないような奴とは同じ大学に行けないからな。どうだ、乗るか?2人は頷いた。勝負に敗れた俺は潔く公園で時間を潰した。寒い。こんなことならヒートテックを着てくればよかった。

 私立大学3校目。私立ラスト。気合十分。大真面目。落ち着いて問題を読めた。英語と国語はかなり手ごたえがあった。日本史は全然わからなかった。多分ダメだろう。試験から帰る途中予備校に寄った。約半年ぶり。会場近くにあったのを思い出した。担任の先生がいたから話しかけた。全く行かなかったこと、その間のこと、親身になって聞いてくれた。誰にも言えていなかったことをようやく吐き出せて、調子を取り戻せた気がした。なぜだかめちゃくちゃ怒られたけど、とりあえずは国立に向けて勉強して、私立の後期試験も受けたほうがいいとアドバイスをいただいた。後期試験、そんなものがあるのか。時代だ。

 相変わらず予備校の自習室に通うということはしなかった。逆張りだから。簡単に気を許したりしない。まずは後期受験できる大学を探す。あった。国語と英語だけで受験できる大学3校に追加で出願した。調査書を余分にもらっておいてよかった。運が向いてきた。7はやっぱり幸運の数字だ。


 受験する国立大学は地方だったため、試験日の前日に飛行機で向かった。格安航空。狭いし座り心地は悪いし耳は痛いしで最悪だったが、視線を感じない分電車より気楽だった。1人で大丈夫だから。何度もそう言ったが母親は付いてきた。その日は小さなホテルに泊まった。2部屋予約していたのに何かと理由をつけては母は俺の部屋に来た。勉強するから1人にしてと言い追い出した。夜、風呂に入る。なんだか人が死んでいそうな風呂だな、なんてことを思いながらお湯につかった。俺にぴったりだ。

 試験当日、会場の大学まで母は付いてきた。あれだけ観光したいと言っていたのに。余程俺からにじみ出る負のオーラが凄くて心配になったのだろう。俺は気恥ずかしさと嬉しさと悔しさを隠すように母に悪態をついてから教室に向かった。どこまでも最悪な息子だ。

 指定された教室に集まったのは10人弱だった。他の教室にも同じ場所を志す受験生はいるのだろうからこれで全員なわけはないが、人混みがすっかり苦手になっている俺にはありがたい環境だった。正直なところ、センター試験の点数的に8割落ちるだろうと思っていた。それでも残りの2割、奇跡でも何でも起こして合格してみせる。俺はだんだんと熱を取り戻していた。緊張もしていない。でもダメだった。隣の奴が外国語で中国語を選択していた。勿論そういう人もいる。でも視野の狭い俺にとって外国語科目は英語だった。なんだこいつ。面白過ぎる。武道の達人は闘わずとも構えただけで互いの力量を測り勝敗を決するという話はあまりに有名だが、格好よく言えばそんな感じだ。母さんごめん。俺こいつには勝てねぇわ。外国語の試験時間の半分を中国語の観察にもっていかれた俺の答案用紙に空欄が少し多いのはいいとして、なんでお前の答案がスカスカなんだよ。完敗した。俺の受験はこれで終わりだ。


 まだ後期試験があったが、会場にたどり着けさえすれば確実に合格できる自信があった。これは自惚れでも何でもなくて、受験科目が国語と英語しかないから。何より、4月頃と同等までとは言わずとも、それだけの熱が宿っていた。その後、とりわけ大きな問題も起きず、無事後期3校すべて合格をいただいた。完全に受験終了だ。よく頑張りました。

 親も兄弟も、予備校の担任も喜んでくれた。友達も喜んでくれた。よかったね。ありがとう。言えた。俺も素直に嬉しかった。みんな本当に心配してくれていたらしい。実は俺の様子がおかしかったこともとっくに気づかれていたのかもしれない。俺にとって大学進学は学生期間・猶予期間延長のための過程でしかなかった。でもいつしかそれは、自分の人生を立て直すための手段になっていた。軌道修正に成功したかは今でもわからないけれど。


 ここまで読んで、なんだよビリギャルのザコ版じゃねーかと思った人もいるかもしれない。ふざけるな。ビリギャルよりは面白いだろ。

 そのほとんどをベッドの上で過ごした俺の浪人生活は、失敗と言えば当然そうだし、成功かと言えばまぁそうだ。中途半端冥利に尽きる。でも浪人してよかったかと聞かれれば、首を横に振る。昔から精神的に弱い部分はあったが、浪人していなければここまでにはならなかったと思う。ずっと弱さを冗談で隠してきた。それができなくなった。今でも急行には1人で乗れないし、満員電車も体調が悪くなる。大学の教室で手が震えだすことだってある。そしてそのことをずっと見守ってくれている人たちに言えずにいる。俺はそんな自分が憎くて憎くてたまらない。

 現在俺は大学3年生、今年の4月からついに4年生だ。高校の同期はほとんどが就職活動を終えているし、同じ3年生もインターンに行ったりエントリーシートを書いたりしている。俺はと言うと、留年しそうになったりハンターハンターを読んだり映画を観たり古本の裏のシールをはがしたりしている。つまりは何もしていない。成長しないやつだぜ。

 「大学の偏差値なんて関係ない」「置かれた場所で咲きなさい」なんて言葉がある。綺麗事だ。いつだって選べる側が有利だ。でも正しくもある。大学名、偏差値、受験方法、受験科目、土地、どうだっていいんだそんなこと。受験自体しなくたっていいし。大事なのはそこで何をするか、どう咲くかだから。進学できても結局何も成していない俺が言ったって響かないかもしれないけど、そう思うだけで自堕落な日々を過ごす自分を少しは許せるようになる。変な咲き方だけど、いいよ。


  最後に。この成功談でも失敗談でもない俺の物語は、その中途半端さが故に誰の身体にも残らない。残らずに通り過ぎる。それでいい。そのほうがいい。記憶から消してほしい。それでもこうして自分の弱さや苦い過去を文字にしているのには、これは最近俺がnoteを書いている理由でもあるのだが、きっかけがある。友達が自分の内を告白した文章だ。凄かった。少し前まで自分の内側を文字にするのが怖くてできなかった。文字に起こしてしまえば、鏡越しの自分にまで責められているような気分になってしまうから。お前はダメな奴だ。弱い奴だ。こんなこともできないのか。そう言われるのが恐ろしかった。だからずっと避けてきた。でもその文章を読んで、うらやましくなった。だから書く。同情してほしいわけでも理解してほしいわけでもない。こういう人間がいたことを、そして周りにもいるかもしれないということを一瞬でも知ってほしい。そうすれば俺が救われるような気がするから。それだけのこと。でも本当はこれから受験する人がこうなったら嫌だから。俺みたいなやつが世の中に増えてほしくないから。こんな気持ち悪いやつばっかりの世界で生きたくないだろ、普通に。では受験生の皆さん、応援しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?