うつ病を乗り越えた話

どうも、関東地方のどこかのメーカーでエンジニアとして働いている佐藤(偽名)です。
Twitterのフォロワーの中に私の過去について色々と興味を持ってくれている人達もいますので、今回はそうした人向けに記事を執筆しました。

最初に断っておきたいのですが、今回は記事は最近の記事とは全く方向性が異なる内容です。
非常に暗くて重たい内容ですので、私の暗い過去について興味のある人だけ閲覧してください。

私は高校生の頃、うつ病になってしまい精神科の病院に通っていました。
著しく社交性の乏しくて且つ頑固で人に価値観を押し付けがちな毒親に育てられていた事や、内向的な性格ゆえに学校が大嫌いだった事など色々な原因がありますが、何かの支配下で自分の人生をコントロールされていた状況に強いストレスを感じ続けていたことが根本的な原因だったと今では思っています。

所属していた部活も担任に何度も「体調が悪いから辞めたい」と何度も申し出たが、「病は気から」やら「部活は最後まで続けることに意味がある」といった意味不明な精神論を振りかざされて退部届も渡されずにいました。
最終的に、時間が経過するとともに私の体調は悪化していき、高校3年の頃には出席日数も足りなくて卒業できなくなりかけただけでなく、大学受験さえも棒に振って中堅私大(四工大のどれか)に進学しました。

この情報だけだと私の担任も周りの大人も無理解な人たちに見えるかもしれません。
しかし、私も当時は学校特有の同調圧力に屈して薬を飲んでいて体が重たくても遅刻しながらも高校に通ったりしていたため、周りから見れば体調が悪そうに見えなかったとしても仕方なかったと思います。
そして、体調が悪くてもなお必死に学校に通っていた事によって、当時の自分が関わっていた同級生や教員にも迷惑をかけてしまった事は今でも強い罪悪感となって私の中に残っています。

高校卒業して数年後、サークルにも所属せず、たまに同じ大学のオタク友達と遊ぶ程度に人間関係を希薄にする生活を続けていた私は無事に寛解しました。
気力を取り戻してからは、自分の人生を取り戻すかのように勉強し、高校生の頃に行きたかった国立大学の大学院に合格しました。
そして、当時の自分を知る人たちが関わる事ができない社会階層で生きるために外資系企業でグローバル人材として第一線で活躍するという野望を抱いて更に専門性と語学力を向上させていきました。
今ではその目標を実現させて、外資系メーカーのエンジニアとして海外の人材と協力しながら新製品を開発していく仕事に就いています。

振り返ってみると、うつ病を乗り越えた経験から私は色々な教訓を得ていました。
それは何かに依存しながら生きるのが極めて危険であるという事と、やる気のある無能の恐ろしさです。
例えば、学校教育でありがちな部活を辞めるのは悪といった価値観はブラック企業に勤めていても転職できない社畜の思考そのものですし、それを悪意無く生徒にも押し付ける教師は社畜を再生産している無能とさえ言えます。

学生時代に周囲の大人の価値観の押し付けに振り回された経験から学んだ事で、何かが自分を守ってくれることを期待せずに生きることでした。
例えば、給料が安かったり職場の人間関係で躓いたとしても、どこでも働けるだけの能力を身に付けていれば転職すれば良いというマインドで私は仕事をしています。

いくら年齢を重ねても努力をしなかったら無能は無能のままですし、無駄に人生を過ごしてきたに過ぎない事も多いです。
そして、無能なりに自分の今までやってきたことにプライドを持っているからこそ、他者にもそれを押し付けてしまうところはあると思います。
その”無能なりに”というのが良くないんですけど。

話が逸れましたが、この経験から自分が優秀になって周りに迷惑をかけないようにしたいという決意ができましたし、何よりも当時の自分が周りに迷惑をかけた以上に人の役に立って罪滅ぼしがしたいと思うようになりました。
自分と同じような苦しみを他の人には味わって欲しくないですし、近しい人にうつ病の人がいて苦しめられている人がいたら、自分の身を多少削ってでも力になりたいと思っています。
未だに当時の自分と関わった人たちを思い出して罪悪感に駆られない日は無いので美談には決してできないですけど、うつ病を乗り越えた経験は紛れもなく自分を急成長させた出来事であることは間違いないです。

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