優秀な人がかけてきた努力の価値を理解できない無能

どうも、自分が努力できない事を棚に上げて優秀な人を僻むような無能が大嫌いな佐藤(偽名)です。
今回は「優秀な人がかけてきた努力の価値を理解できない無能」というテーマで記事を執筆していきます!

私は世の中の至るところで、頭が良くない上に努力もできない人が金持ちやエリートへの反感を口にしているところを目撃してきました。
とりわけエリートと呼ばれる人たちが高い給与や社会的地位を有している事への反感は尋常ではなく、彼らの僻みを聞く度にメンタルが腐るような思いをさせられます。
しかし、彼らがこうした行為に及ぶ事にも理由があります。
それは彼らには優秀な人が人生においてかけてきたコストの価値が全く理解できないからです。

例えば、高学歴や英語力や専門スキルについては、自ら主体的に努力しなければ決して身に付けることができないです。
しかし努力ができない人は、優秀な人は最初からこれらの能力を持っていたかのように考えます。むしろ努力の価値をそもそも理解できないから適切に評価できないと言った方が正しいです。

あくまでも私の主観ですけど、優秀な人の多くは気が遠くなるような反復学習を何度も繰り返してきたからこそ非凡な能力を手に入れています。
しかし、そうした努力ができない人は「もともと頭が良いから」とか「環境に恵まれなかったから」と何かと理由を見つけて自分の努力不足を直視しようとしません
自分の行動に対して自分で責任を取る事ができないから、優秀な人が自責思考で生きている事も理解できないですし、どんなに無駄な時間の使い方をして生きてきたに過ぎないとしても本人なりに頑張ってきたプライドがあるからこそ余計にそれを認めたくないわけです

以前、私が執筆した記事で「何も無い人ほど実力で手に入れたわけでもないものにプライドを持っている」と言及しました。
日本においては年長者を敬うのが美徳とされていますが、私は年齢はRPGにおけるプレイ時間のようなものだと思っています。
どんなにプレイ時間が長くても無駄に時間を過ごしてレベルが上がらなければ低レベルなままですし、自ら主体的に挑戦と失敗を繰り返していけばどんどんレベルを上げていくことができます。

何が言いたいのかと言うと、謙虚さが欠けていたら進歩しないということです。
優秀な人が手に入れているものに対して妬ましいと感じるだけでなく、彼らの積み上げてきた努力や、自分ができない仕事の難しさと責任の重さにも目を向けて欲しいというのが私の個人的な願いです。
何事に対しても、何かを得るためには別の何かをコストとして差し出さなければ手に入れることが出来ないですし、どうか優秀な人が得ている高い報酬だけを見て良い思いだけをしていると思わないで欲しい

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