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漱石の手紙から/さと

ご無沙汰しております。さとです。
前回のちゅんさんの記事を拝見して大変に触発され、私も何か書こう!と思ったものの、気づけばずいぶんと時間が過ぎてしまいました。ダイヤモンド的思考、とっても素晴らしいと感じました。ものごとを理解しようとするとき、自分なりの観点から因数分解をこころみようとすると、文脈にそぐわないものになってしまったり、解釈をゆがめてしまったりと何かと無理が生じてしまうことがあるのではないでしょうか(自分もよくそれに陥ってしまう気がする!)。だからこそ、謙虚さを持ち、わからない部分があってもわからないままでまるごと受け入れる努力をすることが大切なのかもと思ってみたりしました。

さてさて、先日ちゅんさんとお会いした際に文学に関する数冊のテキストと、岩波文庫の『漱石書簡集』をお借りしました。読んだものについて感想を書けたらいいなと思っています。

今回は、『漱石書簡集』の感想を書いてみますね。こちらは、夏目漱石が同時代の名士たちへ宛てた手紙をまとめた書簡集で、一通一通がエッセイのような読みやすさです。私は文学に疎いので、漱石といえば国語の教科書で読んだ程度なのですが、親しい個人に宛てて送った手紙からは漱石本人の内面が率直に語られているような感じがして、小説よりも親近感がわきました。

手紙の中でも印象的だったのが、京都帝国大学の初代学長を務めた狩野亨吉に宛てた「世の中は一大修羅場」。手紙の中で漱石はこう書きます。

自分の立脚地からいうと感じのいい愉快の多い所へ行くよりも感じのわるい、愉快の少ない所におってあくまで喧嘩をして見たい。これは決してやせ我慢じゃない。それでなくては生甲斐のないような心持ちがする。何のために世の中に生まれているかわからない気がする。僕は世の中を一大修羅場と心得ている。…ただ尤も烈しい世の中に立ってどの位人が自分の感化をうけて、どの位自分が社会的分子となって未来の青年の肉や血となって生存し得るかをためして見たい。

このくだりが、ちょうど今の自分には刺さるなあと感じました。もちろん、世の中に影響を与えていきたいという大きな野望があるわけではありません。年齢を重ねて30代となった今、いま自分が生きている時代や社会とはいったいどのようなものなのかということについて、20代の頃よりもより意識的になってきているからだと思います。自分の力では変えることのできない時代の流れや社会という大前提の中で、それでも自分自身の行動や言動は自分でコントロールすることができる。ならば自分自身の行動で、周囲をちょっぴりだけ、より良くできることは何だろう…とこのところ頭の中でぐるぐるしていた折にこの文章を読み、なんとタイムリー!と思ったのでした。

まだまだ自分の中での明確な答えは見つかっていませんが、根気強く自分に問い続けることで、もしかしたら見えてくるものがあるのかもしれない。書簡集を読んで、勝手ながら漱石先生に背中をそっと押してもらったような気持ちを抱いたのでした。ちゅんさん、すてきな文章との出会いを出会いをありがとう!

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