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”ひとをケアする”を通してみえてくるもの。

今朝、妹からの電話が鳴った。

「無理なんかな…。」

1ヶ月くらい前に、このnoteに母のことを書いた。
76年間、北海道に暮らしていた母が、入院していた緩和ケア病棟から、群馬にいる娘(私の妹)の元へ大移動したことを綴った。

群馬に暮らして1ヶ月半ほど。

いろんなことが起きている。

ケアしてもらう母の気持ち、ケアする側の妹の気持ち、そして、ともに暮らす家族の気持ち。

たくさんの見えない”モノ”が日々動いている。

ケアするとは、、を、まざまざと見せつけられる。


そもそも。
何十年も一緒に暮らしていなかった人たちが1つ屋根の下に暮らすとは、容易なことじゃない。
嗜好品は異なる、テレビが好きか嫌いか、音量の大きさや、観る番組すら違う。異なることがいっぱいなのだ。
それが、突然、自由に動かなくなった身体の人と、そこに寄り添って生活をする人たちとの日常が始まる。
これは、そんな簡単なものではないことが私にも想像できる。

私は、介護経験は、2日間だけ。

母と群馬に行く前日、自宅で2日間だけ一緒に過ごした。
それだけで、大変だと感じた。
しんどかった。

何がしんどかったかと言うと、
自分とのバランスが取れなくて苦しかった。


母は9月末に下半身麻痺となり、突如歩くことができなくなった。
それまで何でも自分でやっていた人。それが突然、誰かの手を借りなければ生活をしていけなくなった。
その痛みと葛藤は本人にしかわからない。

現実を懸命に受け入れようと見せる姿。
自身を納得させようとする姿や、陽気な姿、
突然被害者のように放つ言動や憤りの姿、
泣き叫ぶ嘆きの姿。

いろんな場面を見せてもらってきた。

いま、ケアする側の妹の言葉を受け取りながら、彼女の中でも”自身との葛藤”が起こっているんだなぁと、受け止めている私がいる。


私が、歩けなくなった母と過ごした二日間で痛感したことは、
在宅でケアを始めると、自分の時間はほとんど持てなくなったことだった。

できない人が目の前にいる。
できないことを手伝おうとする気持ちが動く。
自分のことよりも、相手のために動こうとする。
しかし、これが続くとどうなるかと言うと、

自分がいっぱいいっぱいになる。

例えば、私がトイレに行こうとする、そこにタイミングよく、「トイレに行きたい。」を言われると、どちらを選択したらよいかを迷う。

自分が我慢できない、となれば、「ごめん!ちょっと待ってて!すぐ済ませるからね!」と、”気になりながら”用を足す。

例えば、やっと休憩できる…と、座ってゆっくりお茶を飲もうとした時、
「ちょっと手伝ってくれるかい?」と声がかかると、「おぉ、わかった。」となる。腰を下ろしたのはつかの間、立ち上がり、その声に応えるために動く。

これが、もし、毎日続いたらどうなるのだろう?


私が母と過ごした2日間。
私の睡眠は自宅でとることにしていた。

「朝はゆっくりでいいから、あなたの時間で動いて来て。」と

母は気を遣って言ってくれた。

一日を過ごすとは、とても細かい。
1人で洗面所へ行けないので、はぶらしや、タオルのセット、うがいができるように準備をする。車椅子に移動する介助をし、トイレに行く、となれば、トイレへの移動。車椅子から便座へはひとりでできないから、母を抱えて便座へ移動する。介護経験がないだけに、腰に負担をかけてしまい、たった数日なのに、腰を痛めた。
トイレに行くだけで何十分もかかる。
終わると、声がかかり、お迎えに行く。さっきの巻き戻しをする。
トイレが無事終わるだけで、「やったね!」となり、「ふぅ…」ともなる。

私の要領が悪く、母の足を車椅子に引っ掛けてしまい傷ができたこともある。けれど、麻痺があるので「痛い」と母は言わない。

それが、私にとっては心が痛かった。
ごめんね、ごめんね、と何度も言った。
「痛い」と言えるのは、どんなに安心なことなんだろう、を思った。

ひとりで何でもできるって、凄いことなんだなを感じた。


歯磨きをする、顔を洗う、トイレに行く、これだけのことで、とても時間がかかる。終わるとすべて片付けが待っている。
いつも1人でやっている動作は、すべて誰かの手が必要になるのだ。


2日目を迎えた朝、私は自宅の布団の中で起きられない私を感じてた。
ヘロヘロになっていた。
ゆっくり来ていいよ、と言ってくれていた母だけれど、私の中では、「遅くなるとカーテンも開けられず、薄暗い朝の中で、じっとベットから動けない母がいるんだ。」を想像すると、胸が苦しくなった。

母の気性を知っているだけに、気持ち良い状態をつくってあげたい私がいた。”動けなくてごめんね、”と、”早くしなくちゃ、”の気持ちが忙しく動いた。

自宅では、自分の生活もある。

子どもの朝ごはんやお弁当をつくり、自分の身支度をし、母の元へ向かう。


母の自宅へ入り、「おはよう!」と声をかけドアを開けた。
カーテンが閉められた薄暗い中、介護ベットの方から「おはよう!」と声がする。

思わず、「ごめんね!遅くなってごめんね!暗い中でごめんね。」と言葉が出た。

「大丈夫だよ〜」と母の言葉。

安心とともに胸がキュッと痛くもなった。


介護をするって、こんなことの繰り返し。
食事、お風呂、着替えに、散髪など、
毎日ひとりでできている”あたりまえ”のことは、全然あたりまえじゃなくて、ひとりで2倍のことをする。
ここに家族がいれば、もっと増える。

この間、私は「自分の仕事はできないな。」を感じた。

母のケアを終え、自宅に戻ると、今度は家のことがある。

疲れて家に帰ると、のんびりしている子どもたちがいる。
キッチンのシンクには洗い物があり、それを見た途端に「キーー!」と心が騒がしくなった。

私がひとりが頑張っているようで、誰も協力してくれていないようで、
なんだか辛く感じてしまった自分がいた。

子どもたちにとっては、ママの中で動く気持ちなんてわからない。
わからなくて当然。人の気持ちは、想像はできるけれど、わからないもの。

だから、子どもたちに伝えた。

「ママね、あーちゃん(おばあちゃん)がひとりで動けなくなったから、手伝いに行ってる。ママの身体もしんどいと感じてる。心に余裕がなくなっているみたいなんだ。
家に帰ってくると、洗っていないお茶碗とかあるじゃない?それを見ると、とても嫌な気持ちになるんだ。これをやってもらえると嬉しい。
自分でできることをやってくれると、ママは凄く助かる。協力してくれないかな?」


誰かをケアするとは、ひとりではできない。
協力して欲しいと望むし、理解して欲しい、わかって欲しいを私は思った。
かと言って、自分は正義なんだと、頭ごなしに抑えつけるような言い方はしたくない。


この心の動きは、子どもが産まれ、赤ちゃんを育てていく母親の心情と似てるなぁと感じる。

トイレに入ったら、幼い我が子がドアの外で、「ママ〜〜〜!」と泣きながらドアを叩く、慌てて済ませ、トイレから出たこともある。

あぁ、やっと昼寝してくれた…今のうちにご飯食べよう、と座ったら、「ぎゃーー!」と泣き出し、落胆しながら抱っこする。落ち着いた頃に、冷めたご飯をキッチンで立ちながら食べたこともある。


ひとりになる時間がなく、ゆっくりお茶飲む時間や、何時間ごとに起される睡眠。幼い時期の子育ては、私にとっては過酷だった。
子育てって、こんなに大変だったの!?と、感じたのも正直な気持ち。
自分だけのことを考える時間がない、気が休まらないのは、初めての子育てで、馴れない未知の体験をしていたからだなも思う。
赤ちゃんにとっては、こっちの状況なんてお構い無しで、容赦なくやってくる1000本ノックの要求に応えようとする自分がいたんだもの。


もちろん、介護も子育ても、その人の気質によって感じ方は違うと思う。
何も大変だと感じないよ、と難なくこなす人もいるだろう。

新米ママの当時、自分の心の扱い方を知らず、ぽつんと孤独を感じたことが私にはある。
なんだか社会から取り残されているようで。
ひとりで大変な思いをしているようで。
帰宅する夫が待ち遠しかった。大人と話したくて、うごめく気持ちを吐き出したくて、わかってもらいたくて、頑張ってるね、って言ってもらいたくて、つらいんだ、とこぼした。

その時に返ってきた言葉は、

「みんなやっているだろう?」

「子どもが欲しくて産んだんだろう?」だった。

たしかにね、正解だ。
その言葉に、何も返すものがなかった。

あぁ、弱音を吐く自分はダメなのか、と感じた。
みんな同じことしてるんだ、できない私はダメなんだ。
自分が望んだことなんだから頑張らなきゃいけないんだ、

その当時の私は、そう解釈をしてしまった。

そして、諦めた。

それから数年、私は、心理を学び続けて今がある。

あの新米ママだった当時、本当に伝えたかったのは、アドバイスでも、方法が欲しい訳でもなく、黙って聴いて欲しいことだったし、ただそこに”ある”想いを受け取り、ケアされたい気持ちだった。

私が、私の声を聴いてあげることだった。


私は、”共感”をとても大事にしている。
共感は、主体的に動き出す、ものすごいパワーを秘めていると感じている。

安心して自分の気持ちを吐露する場や人があることは、生きる希望になると感じてる。

介護と子育て、どこか似てる。

今朝、妹から出てくる様々な言葉を受け取りながら、歩けなくなった母の心情と、そこに寄り添うケアする側、ふたりの揺れる気持ちを想像した。
両方を大切にしたい、と私は感じた。

人の気持ちは常に変化する。

どんな気持ちもただそこに”ある”だけであり、
湧いてくるものを、どうこう処理しようとしなくていいと私は感じてる。

介護や子育てとは、自分の中にあるものに出逢わせてくれる壮大なものなのかもしれないな。

人のいのちに向き合っていくとは、
心地よく簡単なものじゃないけれど、自分の中にあるものに出逢わせてくれる生きた教育だなぁ、と思えてきます。

もしかすると、これはどんな仕事よりも一番難しくて、厄介で、そして、大きな喜びが得られる仕事なのではないかな、と感じてくる。
親は、その姿を身を以て見せてくれているのかな、も感じます。
互いにあるがままを見せあい、受け入れ、認めあい、人は愛を深め合っていくのかなを感じています。



2018年、北海道帯広発祥のおかあさんのがっこうは、
現在、横浜分校が動いています。2021年は、足寄町、愛知県名古屋市が動き出していきます。
高齢化社会となり、血の繋がりや関係性などを越えた地域での”ごちゃまぜ”のつながりが、人の暮らしに安心やぬくもりをもたらすと想像をしながら動き続けています。

暮らしに特化した持続可能な事業として、コミュニティ運営、子育て・介護者支援、キャリア教育・育成、環境に取り組むべく、2020年10月一般社団法人として活動をスタートしました。

おかあさんのがっこうfacebookページ
https://www.facebook.com/おかあさんのがっこう-262421524405489?locale=ja_JP%2F

一般社団法人おかあさんのがっこうpeace village
代表理事 道見里美













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