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私から生まれたたからもの

子どもの頃、夢なんてなかった。

やりたいことも
やってみたいことも
どんな職業につきたいのかも
ない、に等しい。

高校を卒業して、就職をした。
本当は大学へも進学したかったし、
大学へ行けなくても、専門学校へ行きたいな、
周りの同級生の進路を見ながら
自分もそう思ってた。

周りが進学するから、私も。

周りと比較して、人生決めようとしていたんだな。

けれど、ウチは父が病気をしていたので
進学するためのお金がない、と言われ
母は、私を遠くへ出すことにも
とても不安がっていた。

自分の見える範囲に子どもがいなければ
きっと不安だったのだろう。

そして、就職をして
家計を助ける。
それもあったのかもしれない。

母にその当時の気持ちを確認したことはないけれど
子ども心に、そんなことを感じたことは確か。


地元に就職をして1年働いた。
あるとき、ふと思う。
  
「歯医者さんで働きたいな。」

子どもの頃に通った歯医者さん、
そこのお姉さんがとても優しかった。
なぜかそれを思い出した。
歯医者で働いてみたい。

そんな思いを思い切って、母に伝えた。
当時のことは鮮明に覚えていないけれど
何度も話し合って決めたんだと思う。
そうして
地元から1時間半離れた
帯広の歯医者に勤めることになる。


私はいま、人前で話しをする講師として立っている。
だからなのか、よく周りから
司会業とか
声を使ったお仕事されていたんですか?と訊ねられる。

「いいえ、歯医者で受付と助手をしていました。」というと

大抵、驚かれる。


歯医者勤務はかれこれ12年間くらい。
子どもを授かるまで勤務していた。
妊娠を機に仕事を辞め、専業主婦となる。
初めての育児を経験し
育児は、ひとことで言えば 

   
「話しが違うじゃん!!」  だった。笑


私が想像していた子どもとの時間は
現実とずいぶんとかけ離れていた。
子育てってこんなに大変なの!?って
何度感じたことだろう。
見たことのない自分
知らなかった自分にも出会った

楽しいはずの育児が
自分の精神を追いつめる。
それは、子どもが追いつめるのではなく
私が私を追い込んでいたことになるんだけれど。

怒る自分
醜い自分
幼い子を目の前にして優しくできない自分
その度に、自己嫌悪に陥った。

つらかったなぁ…あの頃。
子どもも私も。
そして、よくやってきたなぁ、ここまで自分
と、思う。

不思議と記憶に蘇ってくるのは
楽しかった記憶よりも、
「ごめんね」という記憶が強い。
先日、高校3年になる娘が幼い時の写真を出してきた。

それを見ると、
楽しいことをたくさんしていたあの頃があった。


あぁ…私、楽しい子育てしてたじゃん。
こんなに一生懸命子どもとの時間を楽しんでいたんじゃないの、
素敵なママだわ、と記憶が蘇った。
ダメな母親だ、と責めていたのは私だけだったのね。
誰も私を責めてなんかいなかったんだわ。





今、母親向けのセミナーや講演、学校の授業をしている原点は
小学4年生の娘が、私に言ってくれたひとことがはじまりだった。


ある日、彼女が外へ遊びに行こうと玄関から私に声をかけた。
「何を着ていったらいい?」

私は、「それくらい自分で考えていきなさいよ」と
返事をした。
すると、彼女が言った。

『私はママの言う通りにしなきゃいけないんだよ。』

私は、え?と驚きながら
「ママは何も言っていないじゃない!」と返した、

彼女は言う。

『ママは、私がこれを着たいって言ったら
それはダメ、こっちにしなさい、と言う。
あれをしたい、というと
それは危ないからこっちにして、と言う。
私は、ママの言うとおりにしないと怒られるんだよ、』


このひとことが
私を気づかせてくれた。

子育ては己育てというけれど
自分を育てるものなのだな、と
本当に実感している。

私は子ども達に育ててもらった。
子どもはいちばんの先生。


「生きるってこういうことだよ」って
私に教えてくれた気がする。

娘との時間が大変だと感じたのは
私がしてもらった子育てしか知らず
私と同じだと思っていたから。
私は長女で母の言うことを比較的良く訊いてきた
いい子であったと思う。
反抗期という時期、反抗した記憶はあまりない。
母を困らせない。
母を助けよう、支えようと思っていた子であっただろう。



しかし、私から産まれた子は
私とは正反対の気質を兼ね備えた子だった。
親の言うことに素直に従ってきたような私とは違い
自分の思うがままに行動する。


ある時、自分の思うようにいかないことで
床にのたうち回って泣き叫ぶ娘がいた。
自分の気持ちを伝える小学高学年の彼女。
穏やかになだめようとしてもにっちもさっちもいかない。
そのうち私の声も荒げてくる。
「もういい加減にして!」と言った時、彼女が私に言った。


『どうして自分の気持ちを我慢しなきゃいけないの!?
言いたいことを言っちゃいけないの!?』



言われた瞬間、衝撃的だった。
何も言えなかった。
言葉なんて何も出なかった。

なぜならば、羨ましい、と思ったからだった。

そうだよね、
自分の気持ち言っていいよね。
家族、家庭、という心が許せる場所で
自分の本当の気持ち伝えていいよね。
どんな自分も見せていいよね。
それができるあなたが羨ましいよ。

そんな気持ちが、次から次へと湧いた。


泣きじゃくってる彼女は、その後私に何も言わなかったけれど
彼女の姿や言葉から

「ママ。生きるってこういうことだよ。」

そう言われた気がした。


私は、子どもの頃は人前に出るのも嫌だったし
授業中、手をあげることもイヤだった
学級委員長になるなんて、とんでもない話し。


それが、どうしたことか
今は人の前で話すことを仕事にしている。
とっても不思議でたまらない。
幼い頃、苦手だったことを仕事にしてる。

きっと、やりたかったことなんだろうな。


現在、400名の中学生たちや
父兄の方々、全教職員の方々の前で
体育館の中で、ひとりで講師として立つこともある。

始まるまではとっても緊張する。
けれど、話し始めたら楽しくなってしまう。
言葉は用意しない。
その時感じたまんまを話す。

だから、同じことは言えなくて
あのとき何言ってましたっけ?と聴かれても
答えることができないのが、たまの傷。笑

やりたいことをやろう、
私に何ができるだろうか?
自分のなかにある可能性を広げたい
そんなことを思ったのが
最初の最初で。
  

子育てを通して、母親の心が軽くなる場をつくろう
それが、活動のはじまり。
我が子が授けてくれたきっかけであり、宝。

そこから、セミナー、講座を主宰するようになり
学校の授業や、教育委員会等
あちこちの学校から呼んでいただくようにもなった。


子ども達との時間に触れていると
必ず大人の姿が見えてくる
子どもの可能性をつぶしてしまっているのは
大人の言動だ、が見えてくる時もある。

それは、私自身も経験してきたから言える。

自分がされた子育てしか知らない
または、自分の不安から、
子どもの未来への芽を摘み取ってしまう場合だってある。
どれも子どもを想う”愛”から始まっていることではあるけれど


子どもと自分は違うんだってこと。
子どもには子どもの持つ資質があり、可能性がある。
私とは違うんだってこと。
親は、子どもの持つチカラを信じ見守っていくこと、
と同時に、
信じ見守っていくためには
親自身が自分自身を信じていくことが同時に起こる。
親が、大丈夫だ、と思えば、
どんなことだって大丈夫なんだ。
それくらい肝が座っているのが、親なんだ。
肝っ玉母ちゃんパワーなんだ。
自分が自分の内なるチカラや、存在を肯定できていると
外側にあるものも肯定できる。
自分という唯一無二の存在が素晴らしいことを。


いつも、一滴のしずくでありたいと
私は今、この仕事をしている。
子ども達と一緒に育っていきましょうよって
私たち大人も情熱を持ちやりたいことやりましょう
自分を楽しませてあげましょうが広がるように。

どんな場所でも
自分を縛らず、我慢させず
心を遊ばせてゆるやかな自分がそこにいれたら
勝手に喜びは広がっていくはず。


娘が言います。

夢ってさ、好きなことの延長線にあると思うんだ。
夢を持っていないからダメとか、
夢を持っている人は特別だ、とか
全然そんなんじゃないと思う。
自分の好きなこと、やりたいことをただ続けているだけ。
そして、やってみよう!と挑戦するだけ、
それだけで広がっていく
自分の夢につながってくと思うよって。




    

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