事実と感情の日記#2
事実
駅の通路で女子高生がおじさんに怒鳴られていた
女子高生は俯いていた
数分後に戻ってきたときもまだ同じように怒られていた
感情
おじさんに謎の因縁つけられてる?
声かけたほうがいいかな
おじさんの発する言葉が強いから聞いてるだけで心に来るな
心身疲れてるし自分の心を守ることを優先して離れよう
離れたけどもやもやが収まらない
気づき
その時の自分の本心としては声をかけたかった、助けたかったのかも
しかし人を助けるには能力が必要である、今の自分にはおじさんの怒りを受け止める能力もその上で冷静になれる能力もない
そもそもどちらが悪いかも分かっていない、「どうせこの手のトラブルはおじさん側が悪い」という先入観があったことは否めない
傍から見ただけでは分からない、おじさんが女子高生に痴漢冤罪をかけられたとかスリ未遂されたとか怒鳴るだけの理由があり女子高生側が悪い事情もあったかもしれないし見た目通りおじさんが無駄に因縁つけただけかもしれない、何も分かっていない
あるいは実はただの父娘のやり取りなのかもしれない(そうは見えなかったが事実は分からない)
そして仮にそれらが分かったとしても今の自分には能力も器量もない
そもそも女子高生側は助けを求めていない
どちらかがどちらかに何かをされたその瞬間を自分が目撃していたならば被害者が助けを求めていなくても声をかける意味はある(例えば痴漢であれば被害者が助けを求められないことも多い)だろうが、その瞬間を見ておらずどちらが被害者でどちらが加害者か分からないなら介入したところで話が拗れるだけだ
冷静に考えれば赤の他人の為にそこまでする必要も考える必要もない
命の危機などであれば話は別だが
改善
事情の分からない案件に表面的な情報だけで介入してはいけない
昔から人の事情を浅く知った状態で突っ込んでは却って事態を悪化させたり、物事を不明瞭にしてしまったりする癖がある
介入には「自分も当事者になる」という覚悟が必要である
その覚悟の為には能力や、当事者との交友関係、自身の今の状態、事態の緊急度などを適切に判断して介入する必要がある
駅構内は電車内と同じくノイズキャンセリングイヤホンをしていてもいいかもしれない。
周りの音が本当にシャットアウトされるので愛用している。自分を守る行動を素早く適切に行えたことを評価しよう。
撤退する勇気。