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「オカルトとScienceと教養」(2022/6/22)

・ふとしたツイートがそこそこ見られている。(当社比)

・「空想科学読本」は、アニメ、マンガ、ゲームなどの創作物に登場する現象を、「科学的」に検証し、現実に適応させるとどうなるか、ということを掲載したシリーズ本である。科学を親しみやすく、かつ分かりやすく解説していることが評価されている。その性質上、子供の夢を壊す!と批判されることもあった。


・対して「月刊ムー」は、オカルト、超常現象なんかを掲載している雑誌だ。UFOや陰謀論なんかの、ある種「非科学的」な要素がふんだんに特集されている。


・これらは一見相反するようであるが、基本となる読み方に、ある種の「冷遇する目」を要する点で共通しているように感じる。

・ふ~~~ん、へぇ~~~と、深く入り込まず、上辺で楽しむのが
正しい読み方なのだと思う。メタ的に作品を批判したり、○○は××の陰謀だ!とただただ言うのは、一般的な教養があれば誤りであると気付けるはずだ。

・時に、少し前に衆議院議員が「三角関数より金融教育を」と発言して炎上したことがあったが、これに対して、私はお気持ち表明をしたことがあった。

・三角関数を一度も学習していなければ、それを使える人がいることに気づかないし、何に使うのかも全く分からない。触れるだけで自分は理解できなくても、これを応用して社会に役立てている人がいるとわかれば、その人に対してリスペクトが生まれるし、その自覚そのものが自分を成長させる。

・私は古典とか漢文とかぜぇ~んぜんわかんなかったが、それらを仕事にしたり、よく理解してる人を見るとかっけぇ~って思う。

・こういった経験を積み重ねて、「教養」を形作る。教養の形が歪だと、他者を理解することが難しくなり、結果、何が正しく、何が誤りであるかの判断を下す根拠がぶれてしまう。

・インターネット、SNSが普及し、様々な情報が毎日雪崩れ込むようになった今、情報を判別する行為の重要性と難しさが日に日に増加している。

・あらゆる状況下でも、何かにかぶれすぎず、適切な距離を持つことが、正しい取捨選択を生み出すのだと強く考える。

・「メタ的な主張はアニメなんだから間違ってる」、「そんな非科学的な・・・・・・」と一蹴することも簡単である。これは、ワードをそもそも見なければ良い話であり、入ってきてもシャットアウトすればよい。これも教養の成せる技だ。

・最近は「ムー」も科学的検証を結構やってるらしい。おもしれぇ~。


・初めて痛バを作ったけど、なんか違くない?

・缶バッジが少ないのと、そもそもトートバッグが小さすぎた。だって高いから・・・・・・

・でもミッチミチなラーはそれはそれで可愛い気がするな。

・そういえば、フラパ来週だ~はえ~と思っていたが、どうやら再来週らしい。ホテルも7/2で予約するつもりだったし、かなり危なかった。

・持つべきものはアホじゃない友。人は一人では生きていけないし、社会はアホのためにできてない。

・明日はお休みだけど、実験レポと物理学演習の中間課題で全てを潰されそうだ。マジで最近遊べてない。

・フラパまでは頑張るぞい~~~~~~

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