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日常の一コマ

以前、何気なく本屋で立ち読みした『木曜日にはココアを』という小説。
私の地元の宮崎本大賞を受賞された(けれどもこの状況下で来宮できず)ことをきっかけに始まったnoteで、毎週木曜日にスピンオフ小説が公開されている。それを見るのが最近のちょっとした楽しみ。

物語は、ある喫茶店を軸に、登場人物の何気ない「日常」の一コマが切り取られていて、そしてその一つ一つが実は少しずつ繋がっていて、リアルで、でもどこか異世界の話のような気もして、最後にはじんわりと救われた気持ちになれる。(という私の説明では伝わりきらないと思うので、まずはスピンオフをぜひ読んでほしい。)
こんなに素敵なお話を無料で見れてしまうなんて、とても贅沢だなと思う。

これは、小説の話。
だけど私たちが過ごす毎日もきっとそんなものだろう。

東京へ来て、1年半と少しの時間が経った。
こちらへ来て初めて体験した電車での通勤。
毎朝駅までダッシュで向かい、満員電車へ乗りこんで、乗り換えのためにホームでぼーっと待って、そのままオフィスへ直行して、夜にはぬけがらのような状態で再び満員電車へ乗り込んで、帰宅して眠りについて、朝起きて、という流れの繰り返し。

なんだか、「日常」とは別の世界へ行っているようだった。

そんな中今年の2月後半からリモート勤務が始まった。(それまでも制度としてはあったけれど、なんとなく使ったことがなかった。)
電車に乗ってオフィスへ行くというルーティンがなくなり、自分も一緒に仕事をする相手も自宅で仕事をするようになったことによって、様々な人の「日常」に入り込んでいるのだということをこの1年半ちょっとの間で初めて感じている。

子どもと一緒にミーティングに参加したり
パートナーに髪を切ってもらったエピソードを聞いたり
ふとした時に宅急便が届いて受け取ったり
自宅でゆるっとランチを取りながらおしゃべりしてみたり
自炊や掃除などの家事を頻繁に行うようになったり

”オフィス”という別世界で”仕事”という得体の知れないものに取り組んでいた気がしていたけれど、これも、紛れもなく私たちの「日常」の一コマだったのだ。
家族と一緒に過ごす時間とか、好きなことに没頭する時間とか、何にも考えずだらだらする時間とか、友だちや恋人と美味しいご飯を食べたりどこかへ出かけたりする時間とか。
”仕事”というものもそんな「日常」の一つの要素としてあっただけで、なにも別世界で起こっている特別な出来事ではなかったのだ。

この期間が終わった後、以前の”別世界での時間”がそのまま戻ってくるわけではないだろう。
「日常」の一コマとしての仕事とどう向き合っていくべきだろうか。
仕事だけでなく、そもそもどんな人生を送りたいか、考えなきゃなぁ。

とりとめもなく、そんなことを思うGWのはじまり。

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