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今、私は生きている。

 今日は東日本大震災が発生した日から10年です。当時の私は小学生で東京に住んでいました。まさかその日の14時46分に未曾有の大地震が起きるのだとは私も、これを読んでくださっている皆さんも想像できなかったかと思います。正直、宮城や福島、岩手県を中心とした東北地方に当時お住まいになっていた方に比べれば、当時東京に住んでいた私は被害も少なったと思います。ただあの日、小学生ながらに何を感じていたのか、何を思っていたかを今回の # それぞれの10年 というコラムを通して語らせていただきたいと思います。(*ここからは、津波や地震、原発など当時の状況に関することを書きます。不快・当時のつらい経験がフラッシュバックされる方もいるかもしれません。そういった表現を見たくない・思い出したくないと感じてしまったら、ブラウザバックしていただけると幸いです。宜しくお願い致します。)

・あの日の朝~学校

 確か、7時くらいに起きた記憶があります。朝ごはんは何だったか具体的なメニューは覚えていませんが、当時の私は日本を襲う大地震が起きるなんて思っていませんでした。そして、当たり前のように学校へ通い、当たり前の生活を送っていました。友達としゃべって、給食を食べて、しっかりと授業を受けて。そんな平凡だけど、今思えば愛おしい日を過ごしていました。

・保護者会があった

 この日は、たまたま保護者会があって5時間授業で下校になったんですよね。だから、友達と友達の家で遊ぶ約束をして、家に帰ってから友達の家に行きました。友達とは、ポケモンで対戦とか、一緒にアニメを見ていたりしていましたね。

・そして、14時46分・・・

 いきなり、大きな揺れが来て、テレビからも聞いたことのない警報が鳴りました。友達の家にあった家具が揺れたり、タンスの上に置いてあったものが落ちたりしました。そこからは、アニメやドラマ、映画でも見たことのなかったことばかりが起きてましたね。テレビから流れる映像は、津波が町を飲み込んでいくところ、地震が交通網や家を壊していくところ、地震の影響で原発から放射能が漏れたり、原発そのものが爆発したり。「日本が本当に終わってしまうのか。」まだ小学生でしたが、そんな風にただ、呆然と流れる速報を見続けるばかりでした。小学生の私には、目に見えない放射能漏れは、あまり理解できなかったんですけど、友達の親や私の両親がこの問題を真剣に見ていたことから、子供ながらにとんでもないことが起きてしまったのだと感じました。【この翌週に、楽しみにしていたポケモンのアニメが放送中止か延期になったことも衝撃的でした。放送予定の回がロケット団とプラズマ団という巨大な悪の組織同士の全面対決という結構楽しみな回だったのですが、その回のカギを握るはずだったメテオナイトと呼ばれる猛烈な熱を発する鉱石が福島原発の爆発という恐怖を視聴者(特に、当時の私のような子供)に与えないため、番組側が放送中止にしたのだ。】

・そして、今

 あれから10年が経ちましたが、被災地は復興と呼べる状態からはほど遠く、大きな地震は年に数回起きています。ただ、それでも私は今を生きていることが出来ている。復興支援ソングの『花は咲く』にはこんな歌詞があります。

私は何を残しただろう

 東日本大震災から10年。時間が経過したからと言って、忘れてはいけないし、この地震や津波によって亡くなられた方もいると思います。

 それぞれが違う10年を過ごしているし、それぞれの東日本大震災があると思います。ただ、明日は今を生きることが出来ずに、亡くなられてしまった方々に思いを馳せ、悲しい災害を改めて思い出す。

そして誰かに”何か”を残せる、そんな人生をこれからは歩めるようになりたいです。

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ここまで私の稚拙な文を読んでいただき、本当にありがとうございます。


 


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