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発達障害者の就職は人類で最も困難

というまとめ記事がかつてネイバーまとめでありました。私はコンテンツ制作者であることもあり、ネイバーまとめは嫌いだったので、閉鎖してくれて喜んだ派ですが^^;

このまとめ記事だけは唯一見た価値があったなと思うまとめでした。で、今あの記事の事を思い出して調べたのですが、元ネタが出てこなかったので、

あの記事に書かれてあったことを記憶だよりに残しておこうと思います。

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要はこの画像のように、一部のもの(これでいうと視覚、社会、集中)が決定的に欠けていても、他が普通なので気付かれにくいという事です。この桶はもちろん他者からは見えないので(永くその人と関わらないと見えてこないし(それでも見えない人が大半)、他の性能は普通なので怠けているだけだと勝手に判断されやすい)。

これが発達障碍者の生きづらさの正体です。

単に性能が劣っているから生きづらいことに加えて、その劣っていることが理解してもらえない生きづらさもある。

他人に比べて特定の部分が少し劣っている、ではないんです。少し劣っているなら努力でカバーも出来るでしょう。しかし劣っている部分に関しては決定的に劣っていることがほどんど。こうなると個人の努力だけではどうにもなりません。しかし周りからはこの決定的に劣っている部分が多数の人並みの部分に隠れて見えない為、努力してないだけ、と断ぜられてしまうのです。

私も超低スペとか書いてますが、普通の人より少し劣っている程度のものではないことは、幼少期から解ってました。私はガチなHSPですがこの部分に関しては、普通の人との差は、異種、異星人、地球人とサイヤ人くらいの違いがあります。つまり完全な別物です。でもその他は割と普通なので、ずっと普通の人扱いで生きてきました。普通の人からしたらそんなの「気が弱いだけ」「神経質なだけ」「大人しいだけ」「甘えているだけ」という性格や根性とか、そんなので分類されて終了するわけです。


この決定的に劣っている部分は、職場や上司、または社会福祉でのサポートを受けるなど、個人努力以外の補助が必要になります(そういう補助があって並みの人とやっと対等になれます)。それくらい大きな障害なのです。しかしやはりそんなことに社会常識を持った普通の人は気付かないため、当人が追い込まれて鬱になるまで、それに気付くことは在りません(鬱になっても大抵気付いてもらえません)。