マガジンのカバー画像

【二章】死刑を免れた少年 死刑判決破棄

12
ここでは戦後昭和の少年犯罪で一審死刑判決が破棄された20事件25人のうち18事件22人を紹介。番号は一審の死刑判決順になります。 ❶Y田❷M本とA井❸U越とT野❹F本❺N村 ❻…
運営しているクリエイター

#無期懲役

一審死刑判決破棄の少年達(6事件7人)❶❸❻⓫⓬⓭

ここでは一審で死刑を宣告された少年達の事件を紹介する。番号は一審判決順になる。 一審の死刑が二審で破棄された昭和の事件の判明している分は冤罪を除き全てこの【二章】で紹介している 内容を読んでいただき考察のお役に立てれば幸いである。 ❶六甲山射殺事件のY(18-19) 昭和21年7月5日六甲山山頂の記念碑より約500m下った路上で郵便局員のTさんが左胸を拳銃で撃たれて亡くなっているのが発見された。 足跡などから同10日に大阪市内で徘徊していたYを逮捕。Yは復員後に自動車修理

❷静岡市一家5人強盗殺人のM本(19-18)とA井(17)

戦後に死刑を宣告された少年で5人を殺害した者は3人いる。一人は杉山優で死刑確定後に恩赦により無期懲役になり仮出所後に殺人未遂事件を起こした。 もう2名は戦後まもない頃に静岡市で起きた事件の少年で今回はその事件をまとめた。 事件昭和22年2月3日早朝、この日は零下3.1度という静岡市でも近年まれにみる冷え込みの中、Kさん方にこの家のAちゃん(8)の友人の少女(12)が「一緒に学校に行こう」と声をかけに訪れた所、幼いながら異様な空気を感じた。 裏口からのぞいてみると惨劇の痕を目

❹犯行時17歳の死刑判決 F

戦後の旧少年法時代には犯行時に17歳で死刑を宣告された者が複数名いる。 確定し後に少年法が改正され恩赦になった鬼頭正一、青木敏朗、李祥根。一審判決後に少年法が改正され控訴審で無期になった看守殺しのKなど このF少年もKと同様に控訴審判決前に少年法が改正されて死刑を免れた。事件の概要を記す。 いい牛骨があると誘いだし昭和22年7月12日に熊本県安蘇郡のF(17)のもとに顔馴染みの奈良県の骨細工商のTさんとOさんが「いい牛骨はないか?」と5万円(国家公務員の初任給が3000~4

❺❿一審死刑判決が破棄された少年事件二件 S(19)とN(19)

最近は死刑判決が予想される(?)事件で無期懲役の判決が出たり、一審の死刑判決が破棄されたりが続いているが、昭和に確定した少年の死刑事件では9人が一審無期から二審で死刑になっている。 逆に一審死刑判決が破棄されたケースも多々ある その中で手持ちの【刑事裁判資料死刑無期刑刑事事件判決集56号下巻】から一審の死刑判決が二審で無期懲役になったケースを紹介したい。 ❿知人の女性を殺害したS(19)事件は昭和23年4月20日の仙台市で19歳のS.Tがなじみの独り暮らしの女性(58)宅を

❼死刑→無期→恩赦→強盗K.K(17)

家郷に帰りたいから昭和23年7月29日に民家に侵入して衣類など23点を奪い逮捕され身柄を滋賀刑務所拘置所にて勾留されていた少年K.K(17)は、同房になった朝鮮人徳久炳浩と日本人N(共に強盗事件で勾留中)らに、「初めて勾留された事による不安から家に帰りたい」と話し、もともと徳久とNは脱走を企てていたためにK.Kもこれに加わり同年8月1日に計画を実行した。 「房内の電球が切れた」あらかじめ徳久が電球の配線を切断して、「電球が切れたから交換してほしい」と看守を呼び出し、扉を開け

❽【悪知恵】 広島替え玉事件S(19)

嵐の日の夜の事件 二百二十日とは立春から数えた9月11日頃で悪天候が多いことなどから昔から農家の厄日とされていた。 その厄日を前に暴風雨の中で広島県豊田郡南方村にて昭和23年9月9日の深夜3時頃に検問中に荷車をおした不振な若い男二人組が引っ掛かり、手持ちのカバンやトランクを投げ捨ててあわてて逃走した。派出所巡査が投げ捨てられた荷物を調べると、持ち主が判明しその主の同村の鉄道員Tさん方を調べたらTさんの妻(26)が縄で首を絞められて亡くなっているのが発見され県警本部に連絡がい

❾中瀬村4人強殺事件 A(16-17)とI(16-17)

戦後2~3年の記事を見ているとこの年代は身寄りのない不良少年グループが窃盗団を作り検挙される事件が非常に多いが、人の命も軽視するような凶悪なグループも出てくる。静岡で発生した事件をまとめた 事件静岡県浜名郡中瀬村、昭和23年4月26日朝、Kさんが起きてこないのを不審に思い近隣の親戚S作さんが家の中の様子を伺うと、この家の妻と娘、前日に泊まりに来ていたS作さんの孫が風呂敷で目隠しをされ手足を縛られて絞殺されS作さんの娘は刃物で頸動脈を切られて無惨な姿で亡くなっているのを発見し

⓮現行法で最年少死刑判決のK.H(18)

大月孝行(旧福田)という有名な少年死刑囚がいる。 「戦後最年少の少年死刑囚だ」「現行の少年法で死刑を宣告された最年少だ」 これらはYouTubeや個人ブログに散見されるが、どちらも間違いである。 戦後の最年少少年死刑囚は【少年死刑囚事典】で記事を書いているとおり、鬼頭正一の17歳4ヶ月。 少年法改正後(18歳以上じゃないと死刑に出来ない)に死刑判決を言い渡された少年で大月よりも若い少年がいる。 今回はその少年事件を取り上げる。 茶志内駅前売店で発生した強盗殺人 北海道美唄市

⓯少年二人が死刑判決の長崎の事件のK(18)とM(19)

戦後に『複数の少年に死刑判決』といえば、大阪、愛知、岐阜連続リンチ殺人事件が有名で控訴審で三人の少年に死刑判決が下され、2011年3月に上告が棄却され確定した例があるが、それ以前に戦後、四つの事件で複数の少年に死刑が宣告された例がある。 今回はそのうちの一つを書き記す。 長崎で発生した少年による強盗殺人事件昭和34年2月25日の午前11時頃に福岡市内でパトロール中の警察官が手に包帯を巻いた不審な二人組の少年を発見し職務質問した所、現金3万3千円と質札11枚を持っていた。問い

⓰一審死刑の拳銃強盗少年Y.M(18)

戦後の少年犯罪で銃を使った事件はいくつかあるが、死刑が確定したのは平徹雄、片桐操、永山則夫の三人しかいない。 この事件は一審で少年が死刑を宣告されたケースで、片桐操の一審判決にも影響した(?)と思われるので取り上げたいと思う。 大人顔負けの犯行昭和39年8月14日の大阪の八尾市でタクシー運転手Wさんが客に背後から拳銃で撃たれて、その場で車内から降ろされ売上金が車ごと奪われる事件が発生した。 車種と色、ナンバーがすぐに手配され非常警戒網がしかれ、何人かの一般人が目撃して追跡を

⓱乱暴目的で女性をはねた少年K(19)

被害者女性が消えた神奈川県川崎市登戸の人通りもまばらな市道。小雨ふる昭和43年3月26日夜の11時45分ころ。 仕事を終えて車で帰宅途中の不動産業の男性が、路上に女性が倒れているのを発見し、すぐそばに停まっていたライトバンの若い男が「女性がひき逃げされた」と言うのでびっくりして目と鼻の先の自宅に急いで戻り、110番してすぐに現場に戻った。 戻ったのだが、倒れていた女性とライトバンの若い男の姿はなく、周囲にいた数人に声をかけたら、「ライトバンの男が病院に連れていくというので乗せ