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❾中瀬村4人強殺事件 A(16-17)とI(16-17)

戦後2~3年の記事を見ているとこの年代は身寄りのない不良少年グループが窃盗団を作り検挙される事件が非常に多いが、人の命も軽視するような凶悪なグループも出てくる。静岡で発生した事件をまとめた

事件

静岡県浜名郡中瀬村、昭和23年4月26日朝、Kさんが起きてこないのを不審に思い近隣の親戚S作さんが家の中の様子を伺うと、この家の妻と娘、前日に泊まりに来ていたS作さんの孫が風呂敷で目隠しをされ手足を縛られて絞殺されS作さんの娘は刃物で頸動脈を切られて無惨な姿で亡くなっているのを発見しすぐに浜松署に届け出た。
この家の主人は同月11日頃に「用事があるから東京に行く」と言ったきり音信不通で最近は賭博にはまっていた情報もあった。
S作さんの娘は前年の八月に夫とは離別していてこの家には当時は女性と子供しかいない状況だった。
現場の状況から犯人は4~5人のグループで事件発生前に若者がKさん方に遊びに来ていた目撃情報もあった。
犯人は主人の賭博絡みか?妻に乱暴目的か?で捜査が開始され、当初は犯人の可能性が高いと思われた主人は東京で見つかったが「犯人に心当たりはなく驚いている。自転車と衣類がなくなっている」と証言した。

逮捕

事件はKさん方から盗まれた自転車が発見されたことで解決していく。
この自転車を所持していた中国人の男(22)を同月27日に検挙。この男を追求しA(当時の新聞では18)という男に「自転車の売却を頼まれた。列車に乗り関西方面に行ったようだ」と供述。Kさん方主人が大きい会社に勤めていて金を持っていることから少年らは犯行を企てたと推測された。
Aに逮捕状が出されたが捜査は難航した。その間に共犯の一人が名古屋で目撃された情報なども出て計4人に手配書も出されたがついに5月4日朝、グループの内の一人の中国人(19)が逃げ切れないと自首をし「東京で分かれ離れになり自分以外の三人が手を下した」と供述。
同日に豊橋でI(当時の新聞では18)も検挙され「見張りをしていただけ。主犯はA」と供述。
その後に盛岡でもう一人の共犯の中国人(成人)がデンスケ賭博で検挙されて、自供から自転車で北に逃走した主犯のAが同月25日ついに捕まり、事件にかかわった全員が逮捕された。
当初は見張りをしていただけと供述していたが、4人で役割分担をしての凶行だった。
Aは自称アメリカ生まれだが、父はポルトガル人との混血で戦時中にスパイ事件で秋田刑務所に収監されていたこともあった。

裁判

強盗殺人4
読売新聞遠州版の記事より
昭和23年12月3日に静岡地裁浜松支部で「素行も悪く残虐」とAとIに求刑通りの死刑判決が下された(未成年二人に死刑判決の見出し)
弁護人は「犯行時未成年なので無期が妥当」と控訴した。
昭和24年11月16日に東京高裁で少年法改正により18歳未満には死刑が言い渡せなくなり無期懲役が言い渡されてそのまま確定したと思われる(千葉刑務所に収監)

※共犯の中国人二人は当時の日本には裁判権がなく占領軍裁判所で重労働30年の判決を受けたが後に静岡地裁浜松支部で起訴後に無期懲役判決(うち1名は犯行時16歳で死刑相当刑の緩和)上告審でも同様の判決。またIに関しては成人とする文献もあるが新聞記事の内容から犯行時は未成年の可能性が高く、事件から4年後の昭和27年の読売新聞静岡版の中国人判決記事でAとIは(20)となっており、発生時16歳だった可能性がある事も付け加えておきたい(この時は満年齢)

共犯中国人Hの上告審【集刑108】

【静岡県警察史】【静岡48.5.1、6、28、12.4】

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