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⓰一審死刑の拳銃強盗少年Y.M(18)

戦後の少年犯罪で銃を使った事件はいくつかあるが、死刑が確定したのは平徹雄片桐操、永山則夫の三人しかいない。
この事件は一審で少年が死刑を宣告されたケースで、片桐操の一審判決にも影響した(?)と思われるので取り上げたいと思う。

大人顔負けの犯行

昭和39年8月14日の大阪の八尾市でタクシー運転手Wさんが客に背後から拳銃で撃たれて、その場で車内から降ろされ売上金が車ごと奪われる事件が発生した。
車種と色、ナンバーがすぐに手配され非常警戒網がしかれ、何人かの一般人が目撃して追跡を試みたが、猛スピードで逃走して見失ってしまった。
西へ逃走し、岡山から広島に入ったと見られガソリンの残量から遠くても広島までの間に乗り捨てられたものと推測された。

似ていないモンタージュ

瀕死の重傷だった運転手Wさんは三日後に出血多量で亡くなっている。
その後に犯人は広島の旅館で休憩し、料金の代わりとして被害者運転手から盗んだラジオを渡している。
また汗まみれのシャツの洗濯を頼み、干したままで旅館を立ち去っている。
この時の目撃情報などからモンタージュ写真が10万枚つくられ近畿から九州までを中心に手配された。

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しかしこの手配されたこのモンタージュ写真が似ていないのだ。実際の犯人はもっと大人っぽく目つきも鋭い顔をしている。
別件で神戸でトラックを盗んで逃走した事件が発生したが、これが八尾の犯人の仕業の可能性があるとして捜査対象になっているが後に別人と判明。
神戸の旅館でモンタージュ写真に似たトラック運転手の男が取り調べを受けたがこれも事件とは関係なかった。

バックミラーから指紋が検出

その後岡山から広島に入りそこで乗り捨てられた車が発見されている。
拳銃を持ったまま行方をくらまして一ヶ月が経つもまだ解決する気配がなく再び拳銃を使っての再犯の可能性も心配されたが、盗まれたタクシーのバックミラーなどから検出された指紋の照合の結果、4年前に窃盗で検挙された少年でY.M(18)と判明し、未成年だが再犯の可能性が高い事を理由に名前と顔写真が公開され手配され、翌日に福岡でY.Mは兄の所で逮捕された。
おどおどした様子もなく刑事と笑顔で談笑し、出されたジュースを美味しそうに飲んだ。
事件から約一ヶ月後の昭和39年9月17日の夜だった。
写真が公開されてからは姉に自首を促されていたようだ。
記者との一問一答ではぶっきらぼうに「金がほしかった」と答えた。

Y.Mの生い立ち

Y.Mは小学生の頃から両親が不仲で家庭内の不和が絶えず一時別居するなどその様子を見ていて、親からの愛情に乏しい成育環境だった。
そのうち学校もサボりがちになり、家出や盗みを繰り返すようになり、中学生の時に盗んだタクシーを運転して事故を起こし保護観察処分になっている。
卒業後に両親が相次いで他界し、ますます自分の居場所を見つけられずについには暴力団事務所に出入りするようになり入れ墨までいれていた。
犯行に使われた拳銃は兄貴分が経営する海の家に隠してあったものを盗んでいたものだった。

一審は「冷酷無比」と死刑判決

強盗殺人1、窃盗
昭和40年2月26日大阪地裁
「犯行は計画的で冷酷無比で一片の良心の呵責もない。極刑を持ってのぞむ以外にない」
大阪地裁では松井永明以来13年ぶりの少年への死刑判決だった。
弁護人は「少年にこの判決は問題だ。関係者と相談し控訴する」とし控訴の手続きがされた。

二審で死刑が破棄され無期懲役

昭和40年11月12日大阪高裁
「冷酷無情な犯行で何人も許すことはできないが、今一度自覚と反省を促し真人間に更生する機会を与える」
と一審の死刑判決が破棄され無期懲役が言い渡された。
恵まれない環境が与えた影響もあり被告人のみを責めることは出来ないことにも触れられた。
退廷時に軽く頭を下げた被告人を呼び止め「反省して真人間になるように」と諭したが、弁護人だけが「ありがとうございました」と深々と頭を下げて閉廷した。
(手配時に顔も名前も出たが一審、二審ともに匿名報道)

Y.Mの二審判決と同じ年に片桐操が銃で一名を射殺する強盗殺人事件が発生し2年後の一審が無期懲役判決だったが、同じ死者一名で銃を使用したこの事件の判決が影響した(?)と私的には感じた。

※双方上告せずに確定した。

参考元【大阪新聞昭和39年8月15日、9月18日】など
判決文提供:折原臨也リサーチエージェンシー



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