見出し画像

㉟ 少年ライフル魔 片桐操(18)

生い立ち

片桐操は小学校5年の時に母親と死別し、後妻とは遠慮がちな態度が次第に放任主義になり、指導されたりする事もなくなっていた。片桐は小学校2~3年の時から銃に興味を持つようになる。どこか冷たい放任主義の中で銃に対してよりいっそう興味を持ち、没頭していく。
犯行に使ったライフルは姉に買ってもらい片桐が18歳になって北沢署に名義変更を届け出た。錆びるし、指紋が付くと誰にも触らせなかった。
片桐の数少ない友人Kがライフルをぶっぱなし民家に当たり警察に事情を聞かれたエピソードもあり、この友人Kとは普段からブラジルに行って思い切り銃を撃とうなどと会話をしていた。
大工職人の父は片桐の実母が死んだ時に保険金の計算をし、事件を起こした息子を「可愛いが、撃たれて死んでもよかった。死刑でも結構です」とつっけんどんな態度で答える性格。姉にはすごく可愛がられ、姉のことを何か言われて職場で喧嘩し辞めたエピソードもある。
世田谷区の中学を卒業してからの職歴は以下
自動車修理工見習い、港湾荷役作業員、海運会社、タンカー見習い乗り組員、休暇でタンカーを下船後に戻らずにそのまま退職している。毎月1万5千円を貯金し13万円の預金があり事件の舞台となった渋谷の銃砲店で二連銃を購入している。愛読書は『殺人の季節』
この頃に読んだ犯罪小説の影響で警官から銃を奪うことを決行するに至る。実際に派出所を何件も下見している。【刑資213】【週刊大衆65.8.19】

事件

この事件は有名なので簡単な概要だけ記す。
片桐操(18)は昭和40年7月29日、神奈川県座間町で嘘の110番をして出勤してきた警官を持っていたライフル銃で射殺。制服と拳銃を奪い変装して逃走しようとした際にあとから来た二名の警官に見つかり、拳銃を三発発射し一名に重傷を負わせ逃走。
四台の車を乗り継ぎ、声をかけてきた警官を脅迫し、運転手らを脅して監禁し逃走を続け、渋谷の銃砲店に人質を取り立て籠り、警察隊と銃撃戦になり1時間10分後に催涙弾にたえれず出てきた所を同日逮捕された。負傷者は警察関係者から一般人まで16人だった。【刑集37巻6号】
【昭和40年7月29日読売新聞夕】
【昭和40年7月30日読売新聞】

週刊現代65.8.12

裁判と実名報道に関して

この時代は少年犯罪でも実名、顔写真、少年の住所までが新聞には記載されたが、この事件は一審が無期懲役だった。その際に少年Kとして匿名で写真掲載なしになっていた。(あれだけ逮捕時に大々的に顔も名前も出したのに今さら?)
そのあと二審で逆転死刑になった時にはまた実名報道に戻った。(全て読売新聞)
上告趣意は強盗殺人ではなく突発的に殺害し、窃盗を思い立ったとある。
しかし、片桐の主張は通らずに上告は棄却された。
また銃を使った少年の死刑確定は平徹雄以来二人目(その後の永山則夫も入れて戦後3人しかいない)


昭和42年4月13日 横浜地裁 無期懲役判決
昭和43年11月12日 東京高裁 破棄自判死刑
昭和44年10月2日 最高裁 上告棄却
昭和44年10月23日 判決訂正申立棄却
【刑集37巻6号】【集刑173】
【昭和42年4月13日読売新聞夕】
【昭和43年11月13日読売新聞】
【昭和44年10月2日読売新夕】

片桐操の執行日

片桐は昭和47年7月21日に死刑執行された。
【死刑囚最後の瞬間】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?