老人と労働。
ヒトは、生物学的理由で死ぬしかなくなるまで、生きるしかないんですよね(自殺しない限り)。 けど、生きる為には毎日、食べないとならない。
食べる物は基本、店で買わないとならない。店で買うにはお金が必要。お金は通常、労働しないと得られない。しかし年を取ると働けない、稼げない……
「お金が自分の代わりに働く」という機能を持つ投資(信託)は本来、老齢の域の人々こそが行うべきことで、しかし投資は労働と違い、資本が減る場合もある。
長期予測に従えば安定した結果が見込めるが、そのためには早い時期から投資信託を始めないと(きっと必要なだけのお金に増えてくれないので)意味が無い。
つまり、持たざる若者は、早めに投資信託でも始めない限り老齢に達しても働き続けなければならないという現在の日本社会。
でも、現在以前の日本社会でもきっと、持たざる老人は死ぬまで働いていたのではないのか。
或いはそういう老人に対する互助組織が機能していた?
むしろ、年金により働かなくとも食べていける、現在の70代以上こそが異例なのか?
僕が原始人なら、と想像する。
集団の中に、働けなくなった者が現れたなら、それが怪我によるものなら治癒するまでは皆で支えようとするだろうし、年齢によるものなら代わりにできることをしてもらうだろう。子守りとか。
先に支援があり、後に為すべきことをするだろう。
しかし今の老人は、先に働き、後から報酬を得る。つまり逆だったのではないか?
現在は、子供の価値が暴騰している。"大変に貴重な他人の資産"に、積極的に関わろうとする人はいない。 労働が、生に直結した位置から、生から隔たった位置に変わったのも影響あるかなあ。
「アニマトリックス」で描かれた、ロボットが全ての労働をこなし、ヒトは労働から解放され彼らの労働の糧を享受する、ディストピアの到来が待ち望まれているのでしょうか……( ˘ω˘)
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