アメリカで格闘技だけをしていた話(4)〜アメリカトラブル編〜


前回の記事を沢山の方にご購入いただきました。ありがとうございます。自分の記録用も兼ねての記事なのに沢山買っていただき感謝です。少しでも発信した情報が有益なものになることを祈ります。
なんだか記事を書き重ねるにつれどんどん文字数が増えてますがお付き合いください。

ラスベガス到着の2日後、レッドロックにて。
この時はトラブルなんて何も知らない。


今回はアメリカで起きたトラブルについて書いていきたいと思います。これから日本人で海外修行に行きたいとか海外のジムに行く人には是非読んでほしい内容がひとつあります。詳しく当時の状況を振り返りながら書いていきます。一部不快に感じる描写があるかもしれませんので、そういった類が苦手な方は記事の購入をおすすめしません(笑)
それでも実際に行く事を考えてる人には読んでもらえば有益な情報になるはずです。

現地で遭遇したトラブル達

  1. 何度も青痣だらけでパンクを直して

  2. 浮かれたmy son 轢かれた I Phone

  3. inflammatory cyst

ふざけたタイトルつけてますが内容は至って深刻です。
英語にすると曲のタイトルみたいですね。つまらない冗談はさておき向こうで見舞われたトラブルは大きくこの3つです。他にも小さな困ったことはありましたが即日解決できるような内容だったので割愛します。重ねてアメリカの生活や練習環境は最高に尽きるので帰りたくないの一点張りでしたが②と③に見舞われた時は「日本だったらな〜」と思いました。言語はもちろんですが文化や国の制度の違いは異国人にとって少なからず壁になる時があります。自分は奇跡的に、本当に奇跡的に全ての事象で事なきを得たのですがもしも助けてくれる人がいなかったらと考えるとそのストレスは計り知れません。もしかしたらアメリカ嫌いになっていたことも考えられます。だけどその気苦労の分の恩恵も大きく自分で言うのも恥ずかしいのですが生きる力が身についたというか、ひとつ人間力が強くなった気がします。それではひとつずつ順に見ていきましょう。

①繰り返した自転車のパンク

前にも少し触れましたがアメリカ生活の移動の中心は自転車でした。最初はロクサンが知り合いから借りたマウンテンバイクに乗って1週間、その後ロクサンと新たな自転車を買ってその自転車で残りの7週間を過ごしました。ロクサンが最初に借りてきてくれた自転車は性能がいいもので値段が600ドルくらいするものだったそう。乗り心地もギアチェンジもスムーズでジムに行くまでの道が爽快です。その後新たに買った自転車は150ドルほどのセール品でしたが乗り心地もスピードも悪くはなくこちらもこちらで気に入ってました。しかしどんな自転車に乗ろうともラスベガスの路上は厳しい走行条件でした。

ラスベガスの道路。英語で歩道はサイドウォーク、車道はストリート。
ストリートは危険。

ラスベガスの道路、とりわけ自分が暮らしていたコンドミニアムからジムにかけては歩道が多かったのですがどうしても歩道がない所もあります。また道路は広く整備されていない所も多々あります。そして道路の端にはガラス瓶の破片、釘、画鋲のような針など鋭利なゴミが多いのです。
歩道がない道では車道を走るしかないので針を踏むリスクも高くなります。ジムまでおよそ3キロ弱距離があるのですが中間地点でパンクを起こした時は自転車を押して1キロ以上歩かなければなりませんでした。そして運が悪いことにこれを何度も繰り返してしまうのです。
初めてパンクを起こした時はどうしようと焦ってロクサンに連絡をしました。結果ロクサンと彼氏のクリスがコンドミニアムに来てくれて新しい自転車のチューブとパンク修理セットを持ってきてくれました。その時はクリスがチューブを交換して直してくれたのですがパンクは繰り返す可能性があるので修理用のパッチがまとまったパンク修斗セットを合わせて買ってきてくれたのです。そのお陰でパンクを最初した際は自力で修理ができました。パンクの修理のやり方はネットで調べた知識でどうにかなるもんです。
最初の1ヶ月を過ぎたあたりから週1くらいのペースでパンクを繰り返し、帰国前の最後の週は1日4回パンクをした日もありました。ここまでパンクが日常的になるとちょっとやそっとのことでは同時なくなります(笑)

パンク修理の様子。タイヤを外してチューブを水につけて穴を発見したらパッチで塞ぐシンプルな作業。慣れるまでは労力を使う。

ここでポイントになるのはパンクをしたのがタイヤの前輪であるということです。前輪なら慣れてしまえばなんとか直せますが後輪をパンクするとタイヤを外すのが一苦労でした。ギアチェンジの為のチェーンが絡む為非常にチューブが取り出しにくいのです。後輪がパンクしたのは計2回、1回目は修理に苦戦して1時間半くらいの時間を要しました。2回目のパンクは帰国の5日前。幸いにも2回目は穴の具合が浅かったことから空気を入れ直せばなんとか走れる程度のタイヤ圧は確保できたのです。後輪の修理に労力を割きたくなかったので最後の5日間はパンクをした状態で空気を入れながら乗っていました。なかなかスピードが出ずにジムに着くのも帰るのもいつもより少し時間がかかりました。前輪後輪も合わせて15回以上パンクを繰り返しましたが(普通は15回もパンクはしないと思う)なかなか運が悪かったです(笑)
アメリカで最初に気苦労をしたのがこの自転車のパンクでした。



②I Phoneが車に轢かれた話

これは精神的にとっても焦りました。時期は修行折り返し地点の3月末のことです。何せ生活の基盤となる電子機器が車に轢かれてしまったのです。一体どんな状況でこんな事になったのかを説明します。先述した通り自分はコンドミニアムからジムまでの道のりを自転車で往復する毎日でした。自分は実は端末を2台持っていてモバイル通信が使える本家端末が1台(IPhone12 ProMax)とミュージックプレイヤーとして使っているサブ端末が1台(IPhone7+)を持っていました。轢かれたのは本家端末の方です。いつもジムに向かう時は英会話のリスニング教材を聴きながら2〜30分の道のりを漕いでいたのですがリスニングに耳を傾けてすぎるあまり左ポケットに入っていた本家端末を落とした事に気がつかずに自転車を漕ぎ進めていました。そしてしばらくした時にふと左のポケットに端末がない事に気が付き冷や汗をかきます。もしや今日はカバンに入れて出てきたのでは?と疑いカバンの中を漁って探すも見つからず冷や汗はさらに加速します。足元を注視しながら来た道を100mくらい戻ると横断歩道の上に自分のスマホが落ちているのを見つけました。

現場の横断歩道。手前から3本目の白線の上にうつ伏せ。

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