3828→6383 後編
大学四年生 最初で最後の関東インカレ
大学三年生のシーズンが終わると先輩方が引退し、最高学年になりました。去年から混成ブロックチーフだった事を評価してもらい、跳躍ブロックの副チーフになりました。副チーフになったからといって特別な役割はなく、チーフが不在の時に挨拶するくらいでした。
東海大学跳躍ブロックの冬季練習は学生が主体となってメニューを考える部分があります。跳躍ブロック全体で行うランメニューや各ブロックごとの技術練習などです。メニュー決めは難しいもので、目的に合わせて様々なコンディションを考慮した上で決定します。前編にもあるようにメニューを決める者が「正しい練習」はなんなのかを追求し、メンバーがメニューを実行してもらうだけでなく、主体的に取り組めるようにしなければいけないと考えます。
昨年末と同じ過ごし方ではいけないと思っていたので今年は絶対に甘えないようにしようと決めていました。去年は練習納めしてから全く練習してなかったので今年はトレーニングしました。
12/26 練習納め 浜で走り込み
12/27 家でダラダ パッシブレスト
12/28 ジム スクワットとクリーン 速さよりも姿勢作り アクティブレスト
12/29 ジム ベンチ等上半身 回数多め
12/30 気分転換に遊び
12/31 ジム クリーン 60kg~90kg 12set ウエイト納めなのでガッツリ
1/1 ジム ベンチ等 上半身 回数多め
1/2 箱根駅伝補助員
1/3 箱根駅伝補助員
1/4 遊び
1/5 遊び
1/6 トレセン スナッチ 回数多め 豪雪のため雪だるま作り
1/7 練習始め 120 10本ほど
遊ぶことには遊んでますが時間作ってエニタイムフィットネスに行ってました。とりあえずジムに行ってしっかりトレーニングしなくても筋肉をほぐしたり可動域を保つような動きを行なってました。
自分の性格が関係していると思うのですが、練習場所がなくとも家の中一人で黙々と補強をするのは苦手で、ジムにいけば必ず身体を動かす事ができます。今までは陸上競技から離れてしまってもあまり危機感を感じる事がないのですが、この時はかなり危機感を持って練習に取り組んでいました。
同じ部活の人なら感じたことある人もいるかと思いますが、練習中はかなり話かけにくいとよく言われます。人とコミュニケーションを取ることは好きなのですが、練習している間は集中していることもありそれどころではなくなってしまいます。もっと器用に練習したいのですが、なかなか難しいです。
以前、ある人に練習中に怒ってるの?と言われてハッとしたことがあります。そのくらい練習している時は考えることが多くて顔が死んでるんだと思います。全然怒ってません。余裕がないだけです。笑
順調に冬季練習を積み、怪我なく過ごせました。関東インカレは5月19~22に行われるので5月の頭までに6300点を切らなくてはいけません。それまでの試合として
3/16 春季オープン
3/25 国士舘大学記録会
4/30 国士舘大学記録会
の三つの試合があります。
十種競技は試合に出るだけでかなりの疲労が溜まるので関東インカレで戦うためにも早い段階で標準記録を切って更なる鍛錬を積みたいものです。しかし、早い段階の試合はまだ寒く、なかなか記録も期待できません。私は3/25の国士舘大学記録会でベストパフォーマンスが出せるように試合前の調整を進めました。
3/16の春季オープンは風が強く気温が低いため最初の100mから好スタートとはいきませんでした。私は一日目の点数が変わりやすく、3000点を切ることもあれば3200点ほどになることもあります。いいときは全ての種目が好調でそうでなければ全ての種目がいまいちという具合です。走り高跳びが終わった時点でここまでの点数とコンディションを考えて400mは走らずに二日目を迎えることにしました。
この春季オープンでは各種目での意識するポイントを明確にすること、そして必要な意識だけを自分の中で見つけることができました。次につながる試合にするためにも試合でありながら、練習であるというマインドで二日間競技をしました。
春季オープンが終わってすぐ国士舘記録会があるので疲労が残らないように、すぐ練習に向き合えるように1500mも走りませんでした。たいてい十種が終わったら一週間ほど身体を休ませないと心身とも疲労が残ってしまいます。しかし今回は400mと1500mを走らなかったので比較的早く練習する事ができました。この春季オープンは二日間で試合形式の技術練習をした状態に近いものでした。
3/25の国士舘大学記録会ここに挑むに当たっての心理状態は次のようなものです
ポジティブ:ネガティブ:それ以外=1:1:8
それ以外って何だというと、無です。諦めと言えばそうなのですが、今色々考えたところで記録がすぐに変わるわけではないという感じでした。
これは高校時代の副顧問の方から県大会前日に頂いた言葉なのですが
「今焦って何かしてもすぐに記録が上がるわけではない、
同じようにすぐ記録が下がるわけでもない。」
この言葉が自分の中で残っており、今までの積み重ねが記録につながる。本当にシンプルな陸上競技だからこそ深く共感しました。
ポジティブな気持ちは自分が考えた「正しい練習」を怪我する事なく行えた事。ネガティブな気持ちはそれなのに春季オープンではあまりいい記録は出なかった事。
本当にそのくらいしか考えていませんでした。
そして試合当日、100mの記録が出た時に
ポジティブ:ネガティブ:それ以外=2:0:8
に変わりました。100mの記録は11.11で今までの自己ベストより0.9速いものでした。かなりいい風が吹いてくれたので運がよかったとも言えますが、その時点でネガティブな考えは無くなりました。かといってポジティブが急激に増えるわけでもないのが自分らしい所ではありました。とにかくいつものように一喜一憂せず、競技を進めていきました。一日目は3384点と6118点の自己ベストの一日目より142点高いものでした。後輩も調子が良さそうだったので自分は6600点(去年の全カレ標準)を目指して二日目に挑みました。二日目は円盤投げと槍投げが振るわなかったものの110mHと1500mで自己ベストを更新し、全体の記録として6383点の自己ベストを出すことができました。
1500mは高校二年生ぶりの自己ベストで十種競技の中で唯一大学でベスト更新できてないものでした。1500mを走る前に点数計算をして6600は無理でも6300はほぼ確実に届くものでした。なので走り終わってからものすごい達成感があったわけではなく、ただただ安心しました。やっとかぁって感じでした。大学二年生での目標をやっと達成できました。関東インカレに出場することがゴールではないため、いつも通り疲労を抜いて練習を再開しました。
その後4/30の国士舘大学記録会では関東インカレで更なる自己ベストを狙うために出場しました。前回の記録会で上手くいかなかった種目の確認をしました。棒高跳びを跳ぶ前にかなり天気が荒れてしまい、ここで無理をする必要はないと判断して途中棄権しました。
いよいよ待ちに待った関東インカレです。より良い結果を出すには今までと同じ行動ではいけない、今まで以上のパフォーマンスを発揮するために、新たに朝活を取り入れてみました。5/5から試合当日5/19までの二週間は生活リズムを朝型にするために毎日23時までに寝て8時間ほど寝て6時半に起きてました。
朝早く起きてジョグや散歩したり、ヨガしたり、投擲練習したりと陸上と向き合う時間多めの生活を続けました。夜寝れなくなると困るので昼寝は14時までに15分だけ、カフェインなしだけ意識してました。効果はかなり実感できました。最初のうちは二度寝したくなるほど眠かったり、ぼーっとしてしまう事があったのですが、一週間くらい続けていると早起きした時のドキドキ感やソワソワ感?(共感してもらえますかね)がなくなって自然に起きれました。朝早い試合ある方、おすすめです。
待ちに待った関東インカレです。前日に国立競技場で練習した時は空間の広さに驚きました。タータンが新しくてとても綺麗で素晴らしい競技場でした。ドリルとSDを2本やって調整終了、まぁ良くも悪くもない感じでした。個人的に試合前のピーキングは大成功のためではなく失敗しない為に必要だと考えてます。なので悪い感じがしなければちゃんとピーキングができてる認識です。
朝ホテルを出発し、7時 競技場に到着、控室がプロサッカー選手ばりでテンション上がりました。競技場内でジョグ、ストレッチをして室内競技場でウォームアップをしました。硬いタータンが好きなのもあり流しをした感覚、今日はベスト出せそう。。。現時点で痛みや違和感がないので焦らずいつも通りのアップをしました。招集してスタート裏へ行きます。
100mのスタートラインに立ってもなんかまだ実感が湧かなく?全然緊張しませんでした。それよりも広い!楽しい!でいっぱいだったのかもしれません。良くも悪くも不安とかプレッシャーは全くなかったです。
いざスタート、まぁいい感じで出れたと思ったら他の選手のフライングがあり、やり直し。2回目のスタート。2回目の方がいいスタートが切れました。でも、かなり力入ってしまっていてすぐ体が起き上がってしまい視界の端から前へ走る選手が、、徐々に差が開きゴール付近ではかなりの差に。最下位でのゴール。正直かなりやらかしたと思いました。それでもなんとタイムはセカンドベスト。シンプルに同じ組の選手が早かったです。7人中4人が10秒台、なんなら初めて10秒8台の人と走ったかも?
この後は幅跳びで1cmベストを出し、バスで日大の競技場まで移動して砲丸を投げ、周回競技の隙を見て高跳びをし、400mで硬くなりすぎてひどいタイムで終わるという一日目でした。本当に一筋縄ではいかない競技だと改めて感じました。
一日目の夜にトレーナーに全身をほぐしてもらったおかげで二日目はかなり好調でした。ハードルの自己ベストから始まり、円盤投げもほぼ自己ベストタイで、棒高跳びもベストタイでした。ここまで良かったのですが槍投げは今年に入ってからかなり不調でベストより7mもマイナスでした。そして最後の1500mに挑む前の順位や点数は良いとは言えないものでした。それでも一日目の最初から二日目最終種目まで残って応援してくれる東海大学陸上競技部員の方々への感謝の気持ちと共に出し惜しみないように全力で走りました。
記録は4:29.35でなんと4分半を切ることができました。これは自分だけの力では達することのできないものだと思います。一緒に走った選手、たくさんの応援、国立競技場のパワーをもらったおかげのタイムです。
そんなこんなで二日間の十種競技が終わり、結果としては6336点で14人中12位でした。一日目は思い通りの記録が出なくて控室でかなり萎えていたり、日大と国立の往復移動で座りすぎて腰痛めたりと心身共にしんどい場面がありました。それでも切り替えて二日目に立て直す事ができたのは、競技が終わった帰り道に先輩から電話で励ましてもらえた事、夜にトレーナーさんが全身隈なく筋肉をほぐしてくれた事、二日目最初のハードルの前に森口さんに動きを見てもらえた事、あと多少は今までの陸上競技で培った経験のおかげだと感じました。
関東インカレが終わり、次の大きな試合は日本インカレです。日本インカレに出場する為には6650点をとる必要があります。関東インカレを踏まえて夏の記録会で自己ベストを出す必要があります。
自分が日本インカレの標準記録を切る為には全ての種目で自己ベストと同じくらいの記録を出すことで到達できます。もちろん大幅に更新できる種目があれば他の種目での余裕は生まれますが、そうでなければ全ての種目で過去一番良かった自分になる必要があります。
この大学4年生のシーズンで自己ベストを更新または自己ベストタイの種目は7種目です。400m・円盤投げ・槍投げの三種目に更なる伸び代がありました。とはいえ円盤投げは関東インカレで自己ベスト-1cmの記録で今年の400mの記録はベストよりも8点低いものです。なので槍投げをなんとかすれば可能性はあると感じていました。槍投げの自己ベストは47m43で551点でシーズンベストは41m81で468点で83点の差でした。関東インカレでは39m57と高校生の頃と変わらない結果になってしまいました。
日本インカレの標準記録を突破するチャンスは3回ありました。
6/25.26 神奈川県選手権
7/9.10 国士舘大学記録会
7/30.31 流通経済大学記録会
しかし実際に出場したのは神奈川県選手権のみです。また、そこで日本インカレの標準記録を突破することはできませんでした。
順を追って書きます。まず関東インカレが終わってすぐは充足感がありました。沢山の人に応援してもらい、それに応えるようにベストを更新できた種目もありました。しかし、いつもの日常に戻ると段々と不安が大きくなりました。できた事よりも出来なかったことに目がいってしまいました。具体的にいうと、次の目標に向けてやるべき事として槍投げの記録向上は必要不可欠だと感じていました。
練習でも重点的に槍投げと向き合いました。槍投げ専門の同期の話を聞き、肩周りの筋肉をほぐし、肩の痛みが出ない投げ方を探し、軽いボールを投げる所から始め、トレーナーに診てもらってテーピングをして投げるなどしてました。
やれること全部やったかと言われれば違うかもしれません。他にも手段はあったと思っています。それでも、その時の自分は保険をかけていたのかもしれません。
肩が痛いから、槍投げの記録が伸びないから
だから、自分には日本インカレの標準記録は突破できない。
つまり
肩が痛くなければ、槍投げがベスト付近で投げれれば
そうだったら、自分には日本インカレの標準記録を突破できる。
と信じていました。でも本当は
肩が痛くなくても、槍投げがベスト付近で投げれても
それでも、自分には日本インカレの標準記録を突破できない。
という可能性が怖かったのです。
この時の考え方は「嫌われる勇気/岸身一郎・古賀史健」を読んだお陰で言語化できました。前編を書いてからこの時の心情をありのまま書くことに苦戦して足踏みしていました。この本では「アドラー」の教えについて書いてあります。
関東インカレが終わった後、燃え尽きた?と聞かれた事がありました。最初は自覚できていませんでした。でも周りから見た自分は燃え尽きたようだったと思います。(灰になっている明日のジョーのような?)
自分は自分自身によって身動きが取れなくなってしまいました。私は負けず嫌いです、負けるとそこで熱くなって勝ちに行くタイプの負けず嫌いではなく、一度自分の負けるフィールドだとわかってしまうとそこから立ち去り、自分の勝てるフィールドを探してしまうタイプです。
十種競技は陸上競技の中では唯一自分が勝てるフィールドだと考えて今までやってきました。心技体のバランスを整えて、その一つ一つを大きくしていく。どれかに特化するよりかは効率よく点数をとることを考える。自分を一番理解し、身体を操る。試合は競争よりも共闘。どれも自分に合っていて力を発揮できると考えていました。
陸上を始めてから好きな種目を好きなだけ練習して、飽きたら別の種目を練習して、気がついたら記録がついてくる。こんなにも素晴らしいものと出会えて良かったです。
しかし、大学で部活動として陸上をやる、高校では叶えられなかった全国大会出場を叶える。自分についてきてくれる後輩達や一緒に練習する同期がすぐにより良い記録を出せるようになどなど、少しづつ考え方が変わっていきました。
まず目標を立てて現状を把握する。理想と現実のギャップを埋めるために練習する。必要な走力・筋力・持久力などをトレーニングの原理・原則に則って淡々とこなしていく。それで記録が向上したからこそ、それ以外が受け入れられなくなってしまいました。
明日のために今日の練習量を考える。次の試合のために温存しておく。考える事で、頭を使うことで記録が向上するこの競技はとてもシンプルで少し残酷かもしれません。
目的を立ててそれに到達できれば意味のある競技人生。
私は自覚せずにこのような考えになってしまったと思います。以前書いたnoteでは
と書いてありました。これは大学二年生の頃です。
十種競技の試合は一つの物語だと思います。2度と同じ環境・同じメンバーで競技することはありません。二日間でたくさんの感情が動きます、良い記録に叫び、悪い記録で歯を食いしばります。1500m走り終えた戦友とお互いを讃えあい、お互いの健闘を祈ります。身体も心も鍛えられるタフな競技です、もうこの競技をすることがないと思うと寂しいですが、未練なく引退できたので感謝の気持ちでいっぱいです。
ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。嬉しいことに前編を大学の陸上部を始め、高校の同期や後輩、一緒に試合をした他大学の戦友が読んでくれてそれを伝えてくれました。とても嬉しいです。
陸上競技に限らず、今目の前のことに全力で取り組む事で見えてくるものがあると思います。人それぞれ考え方があり、物の見方や捉え方があります。この記事を読んだあなたに少しでも良い影響が与えられることを願っています。
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