映画評論 「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」

幼い頃から目立つことが大好きだった。
それはもうこの眼に一点の曇り無しの少年時代、周りを笑わせることだけを考え毎日生きていた。
実際に「面白いね!」と言ってくれる人がたくさんいて嬉しい時代だった。
しかし中学時代に周りより主張が強かったせいか、一部の友人たちにハブられた時期があった。軽いいじめである。
それから性格が変わり、強かった主張は弱くなった。
それまで「面白い」と言われることが多かったのに、ボソボソ愚痴を吐くことが増え「毒舌」や「おじさんぽい」と言われることが多くなった。
主張の強さこそ若さの象徴だ。
大学生になり、どこかその自由さに溺れ、再び主張が強くなってきた。すると少し自分が若返ってような気分がする。そういうことなのだ。
毒舌はまあ正直が出た結果であるが、「おじさんぽい」に関しては、悔しいことに容姿が原因じゃないかと考えている。21歳迎えた今年のテーマは「青春」だ。この歳だからそれを再確認し、いくつになっても青い瞳をして生きていきたい。
と言ったそばから、今日行った美容室で「30代からのオシャレ!」と謳われた、表紙がディーン・フジオカの雑誌を差し出された。道のりは長い、ながすぎ。


「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は作家 押見修造の実体験を元に描かれた漫画作品の実写化映画。
主人公の「志乃」は”吃音“で人前に立つとうまく喋れず自分の名前を言うことができない。
クラスメイトの「加代」は音楽が好きでミュージシャンを目指しているが音痴でうまく歌うことができない。
同じくクラスメイトの「菊池」は空気が読めず周りとうまく打ち解けることができない(おそらく発達障害)。
志乃は吃音だが、歌はスムーズに歌うことができるため
加代がギターを弾き、文化祭でライブすることを目標に2人でバンドを組むことになる。しかしそこに菊池が加わり、その活動に少しずつズレが生じてくる。
自分のやりたいことができない葛藤や、
できない自分から逃げたり、自分より上手くできる他人に嫉妬してみたり、バカにしたり、なにが正解かわからないなかで、
唯一見つけることが出来た居場所でさえ、些細なことから傷つき離れていってしまう。


最終的に3人はそれぞれの悩みを克服することが出来ない。

それぞれの悩みを克服するでもなく、逃げるでもなく、これも自分の一部であり個性だと向き合っていくことを選び、
志乃は言葉で、加代は歌でそれを伝えようとする。

この映画はロケーションとBGMの相性が良い、2人に寄り添うように表情の変わる海や、2人を照らす太陽の光が表情やしぐさとシンクロしており、見ていて気持ちのいいシーンがとても多い。
各シーンで流れるギターだけのインストは、映画に無駄なドラマチックさを出さない。THE BLUE HARTSの「青空」や ミッシェルガンエレファントの「世界の終わり」を歌うシーンは心情の移り変わりを忠実に表している。

ラスト、文化祭で加代が歌うシーン、志乃が想いを伝えるシーンは圧巻だ。

全体的に穏やかで、ラストこそ感情的なシーンだが、ここだ!と盛り上がる場面は多くない。
だからこそドラマすぎないリアリティな高校生活を表現している。


この映画は吃音や障害を持った人々だけに向けられた映画ではない。
そのため劇中では、吃音、障害、といったワードは一切出てこない。
志乃や加代、菊池が抱えているそれらは、学生時代誰もが一度は抱えたことのある不安や悩みと同じで、その一部であるからだ。

中学時代に主張が強いことでうまくいかない時期があった僕や、不安や悩みを持って過ごした誰かの学生時代、今もそれらを抱え学校へ通っている人たちへの、それぞれが経験した「青春」を想起させてくれる映画だ。


p.s. 本当に良い映画だったので、クラスの皆さんも是非。

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」予告編

https://youtu.be/Z9ymlmkdHY0

2018-7-22 18:37

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