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団地の屋上で”独り“を“一人”にする

「夏嫌い」と何かにつけてぼやいているくせして、
カンカン照りの太陽を見ると、
その光を全身で吸収するため散歩へ出かけるし、
窓から見えた空が見たことない色に染まっている時は団地を上る

僕が住む棟は4階建てだが隣の棟は7階建て。
その屋上は周りに高い建物がなく、
西は緑地と遊園地の観覧車、北には遠く建ち並ぶビル、
すぐ下に往来する西武線など、
街全体を見下ろすことができる
ただの屋上だが人があまり来ないため秘密の場所のような感覚
部屋の窓から不思議な形の雲や、
クソデカい積乱雲が見えたら団地を上り、空を仰いでは

「夏だな」

なんて呟いたりする

ニュースで名前のある月が出ることを知った日は、
部屋に帰る前に団地の屋上へ行き、
月を探し夢中でスマホをかざし、今まで何百枚も撮ってきたであろう、同じような写真を撮るのだ
僕があまりに屋上へ出没するので、最上階の端に住むおじいさんには顔を覚えられている

おじいさん「村上さんまた来たんかい」
僕「うす」

おじいさんと初めての会話で名前聞かれた時、謎にビビってしまい、名前を「村上」と偽ったため、おじいさんから「村上さん」と呼ばれている。
なので実際には覚えられていない
屋上へ出没する回数が5回を越えた頃からおじいさんは「ああ、またか」といった表情で僕を見るようになった
この街を一番綺麗に見ることができる場所なのだ。
大目に見てくれ

本当は家の近くに海なんてあれば毎日最高なんだけど、
もし家の近くに海があったら毎日のように通っては何時間も眺め、何十枚と同じような写真を撮って帰るだろう 
海に「ああ、またか」と呆れられても、僕は海に行くことをやめないと思う

昨今、以前より一人でいる時間が増え、街へ遊びに出かけることも減った
僕はもともと一人は好きで、映画や買い物、カラオケも一人で行ったって十分に楽しいと思えるし、
逆に大勢でいることも大好きだ
一人でも十人でもその場に何人いたとしても、瞬間に充実をもたらすことは得意な方だ

だけど”一人“で行く映画や買い物などの娯楽さえ自粛がかかった結果、その生活に慣れてしまい、注意すれば遊んでもいい現在でも、欲が薄くなってしまった
明日を創っていた約束が、パッとなくなったその時は、早く友達や人に会いたいと思っていた
しかし最近はなんとなく、会えなくてもまあいいかと思える自分がいる
その感情が大きくなり”独り“に慣れることに恐怖を感じ、思い当たる友達に手当たり次第電話を掛けたりして、やはり人間と話すのは楽しいと思うのと同時に、いきなり電話してごめんという気持ちで”独り“を紛らわしていた

屋上からは夕方になると、
大きく広がる空と街がオレンジに染まる瞬間を一望できる

それをカメラに収めてSNSに少しの間載せたりする
誰かと物事を共有する時、
人間は独りじゃないな〜と実感することができる

載せた写真を見て

「綺麗ですね」「癒された」

とメッセージをくれる人もいる

団地から街を見下ろすのも”独り“を”一人“に変える作業の一部なのかもしれない

日が落ちると街中が生活の光で点々と明るくなっていく
隣の棟の屋上に目をやると、
同じように街を見下ろす人影がぼんやりと見えた
夏が終わり秋の空気を感じつつ、
今日も僕は ”独り“で団地を上り“一人”で部屋へ帰る


#エッセイ  #生活

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