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市民ランナーがアリなら、市民フィロソファーもアリでしょ

市民ランナー」という概念がいつから広まったかよく知らないが、とても良いと思う。ダイエットが目的のおばちゃんでも、禁煙の口実にしたいおっちゃんでも、誰でも名乗れる。ランニングという競技の懐の深さを感じる。
市民ランナーという概念が具体的にどんな人達を指すのかは、厳密に定義されていないと思うので、僕なりに図解してみた。

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うん、即席にしてはよく書けただろうかw
今回はここから飛躍して、この図を哲学(philosophy:フィロソフィー)という分野に当てはめることができないか、検討してみたい。

誰でも哲学してみればよい

哲学というと、とにかくややこしくて堅苦しくて、日常生活に関係のないモノ、と思われがちだと思う(思う、というのは、僕にとってはそうでもなかったため)。例えば、プラトンとかアリストテレスとかニーチェとか、フロイトなんかも哲学者に入れてよいと思う。こういう人たちは、先の図で言うところの「トッププロ」である。先人たちの業績を吟味、検討、比較、時には否定し、独自の主張をまとめ上げて、著書として発表するのが彼らの仕事。その下に、今はまだ無名だったり、歴史に埋もれていった哲学者たちが大勢(プロ、実業団あたり)。そして、プロの書いたものの中で、読みやすいもの、お気に召すものをつまみ食いして、わかった気になっているのが我々「市民フィロソファー」、中でも、いい加減な解釈を解説する「漫画でわかるニーチェ」みたいなのを読んで、さらに勝手な解釈をして、割と楽しんでいる人々が「ファンフィロソファー」といったところか。
全然よい。全部アリですよ。

哲学者もファンサービスが必要

プロがプロとして活躍して、それで稼いでいくためには、どんな業界であれ、彼らを支える層が必要だ。ファン、スポンサー、パトロン、政府交付金・・・。プロ野球選手が試合をしてナンボなように、研究者たちも、小さな部屋に閉じこもって、自分たちにしかわからない言葉で議論していては、いずれやっていけなくなるはずだ。だからプロの哲学者たちは、自分たちが得た高尚な結論を、「興味を持ってくれるド素人」にわかるように解説せねばならないのだ。もちろん、「市民ランナー」が、「フルマラソンサブ3」から、「週末に3kmほどジョグしてます」くらいまで幅があるように、市民向け哲学書の解読難易度もピンきりだ。しかし、難易度が高いほど、良い哲学書とは限らないところがまた面白い。

哲学では、脳内だけで行う「思考実験」という手法で、理論を進めていくことが多い。これが慣れてくると面白くて、プロの技にはほとほと感心するのだ。体操選手の宙返りや、バスケットボールの華麗なダンクシュートを見ているのと同じである。わかりやすく、日常的な事例を使って、誰にでもイメージできる状況を提案しながら、まったく想像外の結論に着地する。言葉のアクロバットだ。

マルクスガブリエルが一押し!

僕は昨年、マルクスガブリエルという哲学者(の著書)に出会ったのだが、約10年ぶりに、「この本は自分の人生観を塗り替えるぞ!」と興奮している。彼は現役バリバリの哲学者で、なんと僕より年下、30歳そこそこでドイツの大学教授になったという天才。代表3部作のうち2冊まで読んだが、2冊目は少々話が複雑になってついていけないところがあったので、1冊目を何度も読み返しているところだ。
タイトルは「なぜ世界は存在しないか」
なんとも挑発的で、退廃的に聞こえるが、中身は真逆。概念としての世界が存在し得ないことを証明しつつ、近代でないがしろにされるようになった「精神」を救済する。語り口は「ですます」で書かれており、非常に親切丁寧(ニーチェなんかは超上から目線でドS)。予備知識ゼロでも読めるが、あればさらに楽しめる。

ちなみに第二部は「私は脳ではない」。第三部は・・・まだ翻訳が終わってないのかも。少なくとも向こう数年楽しめると思う。

本書の内容は、小出しにしても話のネタになる物が多いので、ときどき紹介していきたいと思う。書き起こしてみると、さらに理解が深まったり、理解してなかった点に気づいたりして、また面白いので♪

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