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似非科学は悪だが、非科学は悪とは言えない

僕は理科(生物)オタクではあるが、科学至上主義ではない。科学以外の学問、論理体系にも、科学と対等(場合によってはそれ以上)の価値と権利があると思っている。
先日、以下のnoteを書いた。

これが、「ちゃんとした科学以外は信じちゃダメよ」というメッセージになるといけない、、というか不本意だと思い、補足として本稿を書く。

なぜ似非科学が悪なのか

科学以外の論理体系も等しく尊重されるべきだとしながら、なぜ似非(えせ)科学だけは糾弾するのか。それは単純に、似非科学が「科学を装っている」からだ。科学的ではないのに、科学を装う。そこに悪意がある。

「ほら、科学的に証明されてるんだから、賢い人ならこれを信じるよね~」という態度。騙す気が無いのなら、堂々とこう主張すれば良い。

「この商品の効果は科学的に説明できません。でも、我々(メーカー)は、あなたのためになると信じています。もしあなたもこの効果を信じるのなら、ぜひお買い上げください」

まあ、つまるところ、カルト教団の「魔除けの壺」と同列になってしまうのだが、それが似非科学(の商品)の実態なのだから仕方がない

科学と非科学

科学というのは、一種の論理体系で、客観的に観察、実験することができ、他の実験者にも追試可能なものを対象としている。ひとつの実験の結果が、科学者の主観によって、違う結論を導き出すことがあってはならない。

だが、非科学、、つまり、科学以外にも無数の論理体系があるわけで、それらは必ずしも客観的なわけではない。たとえば、哲学や芸術は、主観性がなければ成立しない。科学的に地球上を観察すれば、そこには膨大な化学物質は存在するが、国家や文化は存在しないことになる。これらは主観、つまり人間なしには観察できないものだから。

科学至上主義は、非科学的である。科学以外の論理体系が存在し、科学では認識できない現象(国家や文化など)が存在することは、客観的事実であることを無視しているからだ。

迷信やカルト教団

非科学というと、まず、子供向けの心霊番組や中世の魔女狩りなどの迷信、地下鉄に毒ガスを撒き散らすようなカルト教団を思い浮かべるひとも多いかと思う。もちろん、これらは人類全般に対して有害であるし、科学的に否定され、取り除かれるべきだろう。これらは、悪意を含む非科学の例だ。
だが、先に述べたとおり、体系的に研究されている多くの学問が非科学的であるが、それらは恣意的であったり悪意を含んだりするものではないのだ。

まとめ

科学だけが唯一有効な論理的学問であるという考えは間違っている。科学が有用な論理体系であることは確かだが、等しく有用な論理体系が数多く存在していることを主張しておきたい。

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