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マルハラスメント記念日

 昨日、「マルハラスメント」という言葉を知った。

チャットやLINEなどでのやり取りの際、マルをつけて「はい。」「了解。」などと連絡すると、若い世代が「怖い」「返信を拒絶されている」と感じるとの指摘がある。その名もマルによる「マルハラスメント」。(中略)10代の女性に聞いてみたところ「チャットで、冷たい印象の『マル』はあり得ない」という。文末には「!」や絵文字をつけるそうだ。

2月17日 毎日新聞朝刊

 ということなのだが、わけがわからへん。
 文章の最後を「。」にするのは当然のことである。そう思って40年余り生きてきた僕なんかにとっては理解が及ばず、ましてやハラスメント呼ばわりたあ、なんてえ言いがかりだいと気を悪くしているところ。
 同様のことを感じている人は、当該記事を書いた記者をはじめとしてほかにもいるようだし、俵万智に至っては、

 優しさに
 ひとつ気がつく
 ✕でなく
 ○で必ず
 終わる日本語

2月8日 俵万智公式X

 などと一首詠んでまでいるという。


 だが、言葉は時代によって変わるものである。その使い方もまた。
 これも時代の流れだろうし、それを受け入れがたいのは僕(たち)が着実に年を取ってきているということなのだろう。
 あくまでチャットやLINEということのようなので、幸いにして通常の文章や文学作品にまで波及しているわけではないらしいから、記者くんも万智ちゃんもそんなに頑張んなくていいと思う。


 そう、チャットやLINEというのは、文章ではないのだ。より正確に言うならば、文章である必要がないのだ。絵文字なんて、もはや言語ですらないではないか。
 じゃあ何なのかといえば、特定の者と特定の者の間で交わされるコミュニケーションである。数多あるコミュニケーションの手段のひとつでしかない。
 それでも直接話す以外のコミュニケーションは言語を用いるものであるし、「メシ」「フロ」「ネル」でもない限り、一定の文章としての体裁は余儀なくされる。まして日本語を母語にしている者同士ならば、日本語の文章をコミュニケーションに用いるのは自然なことだ。そうなるとどうしてもまたこの問題にぶち当たる。


 そこで僕が思い浮かんだのは、おっさんホイホイとなって久しい『ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場』の夜麻みゆきのネタ。アップロードすると著作権的にアウトだろうなので、再現するとこんな感じ。

『ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場 ガンガン編』5巻

 あれ、ほとんど変わんないや。


 ともかくこんな感じでチャットやLINEの最後を「マル」とか「まる」で締めればいいと思った。
 これなら「。」のような記号でも絵文字でもなく、日本語としての良さも損ねず、なんか可愛かったりする。しろ。

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