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病気休暇マイナス1日目

 公務員になるはるか昔から、自殺願望や希死念慮はあるほうだ。これについては機会があれば触れることにする。
 一方で、こんな死に方はごめんだ、絶対やりたくないと思うものもある。自殺者ってのは、存外わがままなものなのだ。死ぬ場所死ぬとき死ぬ方法にこだわり抜く。僕はまだ死んじゃいないが、その心理はすでに経験したもののように、語り尽くせないほど語ることができる。これについても機会があれば触れることにする。


 そんなわけで、僕がやりたくない死に方のひとつが首吊りである。ほかのものと比べて理由はよくわからないが、何となく首を吊って死ぬ気はない。
 それなのに、その日は仕事中に、もうどうしようもなくなって、思わずトイレの個室に駆け込み、蓋の上から便座に腰掛け、しばし気持ちを落ち着かせようとしたがあまりうまくいかず、とにかく持ち場に戻らないと、と思ってふと顔を上げたときに、ドアの内側の上着掛けを目にして、「ここにベルトを巻き付けて首を吊ろう」という発想が、あまりにも自然に何の疑問も抱かずツルっと頭の中に浮かび、それはすぐに消えたから実行には移さなかったものの、そういう思考をいとも簡単にできてしまった自分の精神状態のやばさに気がつき、慌てて早退させてもらったわけである。
 ちょうど翌日は、人事課の医療スタッフから提案されていた心療内科に通院する日であり、前日のエピソードも含めてこれまでのことを話したところ、『うつ状態』『1ヶ月の加療を要する』と診断され、病気休暇に雪崩れ込んでいくのだった。


 蛇足。
 首吊りというのは、たくさんのロールモデルとそれに至る実績があるものだ。古今東西、とてもポピュラーな自殺方法。多分これから先の世でも。我が国でも死刑執行方法は絞首である。それが残酷かどうかは、やられたことがないので知らん。ともかく首を吊れば確実に死ねるという方程式は、多くの人に根付いている。いわんや己をば。だからあのとき、そういう発想が湧いたのだろう。
 警察官の自殺で、勤務中にピストルを用いるケースを、よく目にする。僕が警察官だったら、あの日あのときに同じ轍を踏んだと思う。銃器で頭を撃ち抜くなんて、ベルトで首を吊るよりはるかに確実だ。この死に方も、僕がやりたくないと思う死に方のひとつであるが、そのような好き嫌いが介在する余地など、極まった瞬間には消えてなくなるものだということを、あの日たしかに経験した。しかしそのような便利な道具を、多くの人は日常的に持ち合わせているわけがない。だから多くの人は銃を使わないし、そもそも使えない。
 だからきっと、警察官じゃなければ、あるいは勤務中じゃなければ、死ななかった人もいたのだろうなと、思うのだ。
 人間の行動と、それを引き起こす心理は、環境によって左右されるものだと、改めて知る。


 蛇足足。
 銃規制に断固として反対している全米ライフル協会は、このような人間の心理を、どこまで理解しているのだろうか?
 言うまでもない。多分、すごくよく理解しているのだろう。

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