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男子厨房に入らずんば女子を得ず

 マニキュアをつけている女が嫌いだ。
 
これが僕の孤独を増進させてきた気さえする。
 その理由はアンコンシャス・バイアスにも繋がりそう、あるいはそこから生じてきていそうなのだが、そんな爪じゃお前ロクに米も研げねえじゃねえかというところに行き着く。要は致命的に炊事に不向きだろうということ。実際料理しないんだろうなあこの人は、などと低く見積もることも度々あった。


 いつからどうしてマニキュアなんていう文化が広まったのかは知らないが、「おふくろの味」なんていう言葉が根強い時代には、多くはなかったことだろう。その頃は家事は女の仕事と目され、女性の社会進出も乏しく、爪を彩る習慣も少なかったことだろう。そんな時代の専業主婦の爪が極彩色やラメで彩られていたら、三行半を叩きつける亭主もいたことだろう。
 現代はその頃に比べれば女性の社会進出著しく、騒動から何年も経ったがファミリーマートの「お母さん食堂」というブランド名も変更になった。実際料理をする男も増えたのだろう。僕もその一人だ。男子厨房に入らずってあほかいな。


 自分で料理をするようになると、それなりに楽しいけれど、楽ばかりでもないことを知る。楽しいと思えず半ばその営みを強要されてきた時代を生きた女性たちの苦労と苦悩が偲ばれる。とはいえ人間は猿とは違い、生の澱粉を消化できない。生きるために食べるために、ある程度の調理は不可欠だ。これは男女に限らない。生きるためにはどちらかがやらなきゃならない。
 一方で、最低限生きるためなら、おしゃれはしなくても事足りる。必ずしも男女の差はないだろうが、おしゃれに関心がある女性は男のそれより多いはずだ。とりあえず僕は男の平均を一人分下げている。言い換えるならば女性の中には、炊事するよりもマニキュアをつけるなど、おしゃれに注力したい人もいるだろう。それでも彼女も生きるためには食べなきゃならず、食べるためには誰かが料理を作らなきゃならないのだ。
 だから僕は君のための炊事を厭わないことにした。君は思う存分おしゃれをすればいい。ようやくそこに思い至った。


 マニキュアをつけている女が嫌いだった。
 炊事ができないならそれでいい。料理をしたくないなら構わない。何なら全部僕がやる。僕が(物理的な意味で)食わせてやる。釣った魚に餌をやり、大きくしてからいただきます。思えばこれは僕の恋愛観でもある。
 それでなくても炊事というのは手が荒れるものだ。洗剤なんて肌に合わなきゃぼろぼろだぜ。そんな日々の営みは、男の僕が全部やってやる。飯炊きから洗い物まで済ませたあとの僕の荒れた手を、その手で包んでねぎらってくれたらそれでいい。
 そのときは綺麗に塗られたその爪のことも、君と同じぐらい好きになれるだろう。


 でもひとつだけ約束だ。
 子どもができたらやめような。

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