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Memories

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人はなぜ追憶を語るのだろうか。 ー北杜夫『幽霊』 私の過去の思い出をつづっています。
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記事一覧

片岡秀太郎さんを偲ぶ

歌舞伎俳優の片岡秀太郎さんがお亡くなりになられました。 秀太郎さんは、いつでもどの演目でもお芝居を実に楽しそうにやっておられました。その楽しさが見ているこちらにも伝わってきて、気分を明るくしてくださる。そのような訳で大好きな役者さんでした。 昨年の2月に、歌舞伎座でお父上の二十七回忌追善興行を兄の我當さん、弟の仁左衛門さんはじめ松嶋屋さんの皆さんで行うことができたのは良かったと思います。そして、私にとってその興行が秀太郎さんの舞台を拝見した最後となってしまいました。 秀太

世界貿易センタービル@浜松町の思い出を語る

浜松町の世界貿易センタービルディング(以下、貿易センター)が、建て替えのため間もなく解体が始まります。日本の高層ビルのさきがけの一つが解体されることはやや残念ではありますが。 貿易センターは、子どものころからいろいろと利用する機会がありました。そこで、貿易センターの思い出あれこれを書いてみようと思います。 最初の接点は、14階にあったヤマハ音楽教室です。小学校低学年の頃にエレクトーンを習いに行っていました。左手でもキーボードを弾き、足でペダルを踏むのを同時進行でやるのには悪

昭和62年の宝塚歌劇を振り返る

GW特別企画・在宅研究で「昭和62年の宝塚歌劇」について振り返ってみようと思います。なぜ昭和62年にしたかというと、自分が一番宝塚歌劇にハマっていた年だったからです。平成の「ベルサイユのばら」ブームの起こる2年前。当時中学生でしたが、大人になってから振り返ってみてどのようなことが起きていたかを見直してみます。 当時の各組の主要メンバー当時の各組の主要メンバーはこの通りです(カッコ内は初舞台の年です)。トップスターの4名は昭和40年代後半が初舞台で、昭和の「ベルサイユのばら」

オンラインで祖父を偲ぶ

今日(4月30日)は祖父の十三回忌の命日です。 本当は法要に参加したいのですが、祖父の菩提寺は遠い場所にありこのような世情で行くことができません。そこで今回は祖父の思い出を少し書いてみようと思います。 祖父とは離れて暮らしていたので、全部で20回程度しか会っていなかったと思います。しかも、少々話しかけづらい威厳があったのと、普段一緒に暮らしていないので何だかはずかしくて、祖父母の家に行っても話をすることがあまりありませんでした。 ただ、運転免許を返納するまでは私を空港や駅ま

今はビル街になってしまった、自分が幼い頃に住んでいた街の地図を書いてみる

私はかつて、都心部の小さな商店の集まる街に住んでいました。幼稚園を卒園する前の年にその街から引っ越したのですが、ご近所の皆さんと過ごした楽しい思い出がたくさんあります。バブル期を境にその街はビル街に姿を変え、街の様子はすっかり変わってしまいました。 ここ数年、その街で長年営業を続けていた喫茶店のママさんと当時の街の思い出話をしていたことをきっかけに、私が住んでいたにぎやかだった頃の街の地図を作りたくなってきました。 なぜ地図にしたのか?私が地図好きだからです! 暇な時があ

¥200

さらば、「粋な仲間のよりどころ」

Covid-19の流行の影響で、愛する店が閉店してしまった悲しみを味わった方が多いかと思います。 私も、ランチに愛用していたタリーズコーヒーと急いでいた時に使っていたリンガーハットが閉店してしまいました…。 そのようなお店とのお別れの中で、一番悲しかったのが銀座ライオン新宿センタービル店です。 このお店は、三線の師匠が新宿でお稽古をした後に私たち弟子一同とよくビールを飲んでいたお店でした。 師匠が亡くなった後も、同門の女子数名で「師匠を偲ぶ会」と称して女子会を時折行っていま

地下鉄サリン事件発生までに私の身の回りで起きたこと

地下鉄サリン事件が発生してから26年が過ぎました。 先日、せんべえ/webライター・元ホテルマンさんの事件発生当時のことを書かれた記事を読ませて頂き、私も地下鉄サリン事件が起きるまでにオウム真理教やカルト関係で自分の身の回りに起きたことを一度記録しておこうと思いこの記事を書き始めた次第です。 四半世紀前のことで、記憶の断片をつなぐ形になってしまいますが…。 カルトには気をつけろ!私はキリスト教系の高校に通っており、道徳の時間の代わりに牧師さんによる聖書の時間がありました。

1999年春、那覇の街に人がいなくなったひととき。

「高校野球の思い出」といえば、1999年春のセンバツの沖縄尚学高校の優勝一択です。 私はこの年の春に沖縄の大学の研究生となり、東京から首里の街に引っ越しました。そしてある日の昼下がり、洗濯機をまだ買っていなかったのでコインランドリーに行って洗濯をしていました。そうしたら、ランドリーに入ってきたご婦人が「早く家に帰りなさい、沖縄尚学が優勝するわよ!」と教えてくれました。 首里に来て数日、まだ心は都民だった私は、引っ越しのばたばたもあって沖縄尚学が決勝まで進んだことすら知らない

新橋にあった甘味処「華家」

昔々やっていたブログでもこのお店のことを書いたことがあるのですが、再びこのお店のことを書いてみようと思います。 華家さんは、新橋に会った甘味処です。場所はSLの裏、ヤマダ電機の横にある道あたりで、平成の始めぐらいまでお店はあったと思います。 あの頃の新橋駅前は華家の近くに銭湯があったりして、今みたいに飲み屋ばかりの街ではありませんでした。 このお店の大きな特徴は、「商品提供の時に、店員さんが商品にちなんだ歌舞伎や新派などのセリフを言う」というところでした。 例えば、席に着

2011年3月11日の行動ログ

明日で東日本大震災の発生から10年が経ちます。時間の経つのは速い…。しかし、10年たってもあの日の自分の行動は鮮明に残っています。記録のためにログをこちらに残します。 2011年3月初旬。このころ、東北で地震が続いたり、鹿島のほうでイルカが大量に陸にあがったりと???な出来事が続いていました。 2011年3月11日。この時期は会社を休んでいて、この日は神保町シアターの特集「女優とモード 美の競演」を観に行きました。 一本目は12時スタートの「おしゃれ忠臣蔵」。忠臣蔵の

モモコさん

​我が家のペット自慢。 …といっても10年前に亡くなった、祖父母の家で飼っていた柴犬のことです。名前はモモコさん。 実は私は大人になるまで犬が怖かったのです。噛まれたらどうしようというだけの理由なのですが。しかしモモコさんのおかげで犬が好きになりました。モモコさんは私の人生を変えてくれた恩人ならぬ恩犬なのです。 モモコさんが祖父母の家に来たのは、彼女が一歳ぐらいの時だったと思います。初めて会ったときは上の写真のように、子犬から大人の犬になりかけの頃でした。モモコさんは人な

思い出に残るマラソン大会

「応援したいスポーツ」。自分でやっているスポーツ、マラソンのことを書きます。 マラソンを始めることになったきっかけは、東京マラソンが開催されることが決まったことを知り、「マラソンの国際レースのコースになった東京の道を走りたい!」と思ったことがきっかけです。 ちなみに大学の体育の時間以降はヨガ教室に行くこと以外に運動の経験はなく、長距離走といえば高校の運動会の1㎞走でダントツの最下位になったというトホホな経験しかありませんでした。むしろ生来お祭り好きであること、子どもの頃か