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次女に思うこと

長女が赤ちゃんだった頃とは違う思いが、次女を育てていると湧いてくる。

自分を責められているような気がしてきて理由を探し、必死にあれこれと対応を変えていた、荒れた肌も泣き顔も吐き戻しも、全部愛おしい。
できるだけ寝ていてほしくて、でもそんなこと思うのも申し訳なくなってきて、でもやっぱりスンスンと起きそうな息遣いが聞こえると“まだ寝てて”と願わずにはいられなかった起き側も、“起きるの?!起きるの?!”とワクワクして待てる。
いつまで続くの、いつになったら寝るの、どうやったら寝るの、続けて寝たい、私ばかり寝られないと苦しんでいた夜中の授乳は、2人だけのコミュニケーションの時間になって、断乳した後を想像すると少し寂しくすら感じる。
先のわからない不安、はやく安心したい気持ち、慣れない生活が続く辛さ、そんなものがほとんどなくなって、ただただ莫大な愛おしさと少しの切なさがある。

全部私の変化によるものだと思う。長女が死んでしまう夢を何度も何度も見たあの頃と違って、今の私は娘を信じる気持ちを長女にもらった。頑張って育てなきゃといつもどこか緊張していたけれど、愛嬌たっぷり賢くて素直に育った娘に自信をもらった。その上、成長の喜びとともに育児の小さな終わりをたくさん経験して、母になった。
いつか全部終わってしまうと色々なところで耳にするけれど、経験はなにより心に刺さっていて実感を生む。次女に長女の面影を見つけるたび、そっくりな光景を目にするたび、懐かしさと嬉しさと、もうその成長の場面まで来たのかという寂しさを感じる。

そして、長女のときと違う理由で申し訳なくなったり寂しく思ったりすることもある。
ご機嫌な時間にどうしても1人で過ごさせてしまって、抱っこするのが泣いてからなこと。
抱っこ紐で寝てもらうことが多くて、寝顔をたくさん見れないこと。
次女だけに全力で構える時間が長女の時よりも少ないこと。
産まれた瞬間からきょうだいがいるのだから仕方ないし、きっと次女は何も覚えていなくて、もはや私が1人で苦しんでいるだけなのだけど。私は度々自分で自分に“果たして長女と同じだけの関わりが出来ているか”“これが私の人生最後の子育てだ、後悔はないか、見逃していないか”と問いかけてしまう。精一杯目に焼き付けて、写真と動画を撮ることしかできない。

次女を見つめるたびに、こんなに幸せな時間があっていいのか?と感じ、“もう1人…”とよぎったりもする。でもきっと、全く同じように子にエネルギーを注ぎたい私が、この葛藤を許容できるのは2人が限界だとも強く思う。やっぱりこれが最後の赤ちゃん。

抱き上げた時の身体がしっかりしてきた。顔の色が白く綺麗になった。目が合うたびに笑う。長女が触れようとしても多少安心して見ていられる。首を持ち上げようとする。手を見つけて眺める。拳を舐める。足でおもちゃを蹴る。どこにいても私を見る。どんどん、どんどん成長する。うれしい。さみしい。未来が楽しみ。今このときが、過ぎてほしくない。

毎日毎日こんなふうに思って、1日1日を噛み締めて過ごしている。この気持ちを、忘れたくない。
安心したい、早く大きくなって“お母さん”と呼ばれたい、抱っこして欲しいなら“抱っこ”と手を広げて欲しいと思っていたあの頃。長女の育児も、今のこんな気持ちでしたかった。あの頃も精一杯頑張っていたのだけど。

きっと未来で今を思い返す時、人生で1番美しい思い出になっていると思う。

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