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40歳を過ぎてもナウロマンティックなときがある(3月31日)

昨日寝た時間  24時45分
今日起きた時間 6時35分

朝、二度寝をしてしまい、家を出る20分前に起きる。ただ、過去の履歴から落ち着いて準備すれば20分で間に合うと分かっていたので、歯を磨いて顔を洗って、着替えて身支度を整えて6時58分には家を出る。

朝、少し小走りで駅に向かいながら、サニーデイ・サービスを聞く。自分にとっての生涯ベスト10アーティストに入るであろうサニーデイ。春になると堪らなく聞きたくなるサニーデイ。恋がどんなものだったか、なんとなくその微かな匂いを手触りを思い出させてくれる。

40歳を過ぎてもナウロマンティックな時がある。

今これを、残業帰りの電車の中で打っています。家に着くのは23時半位です。

行きの電車の中で、西田亮介の「17歳からの民主主義とメディアの授業 ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください」を読む。面白い。敢えて平易というのは素晴らしい。あとこの本は上が空白なので、付箋が貼りやすくて、そこもまた、好きだ。

昨日やった16personalityで、何だかとても落ち着いたというか、腑に落ちたというか。自分は自分のままで続き続けるだけだと分かった。

特に仕事においては損な役回りとか、大変な仕事とか、今まで経験した3つの職場全てで共通して担って来たけど、まあ結局それが自分なんだな、と理解した。

高校生の時、1年くらい誰とも話さなかったときに書いていた日記で『自分には自分がいる』と書いていたことや、『信じないということは、信じないことを信じている』と書いていたことを思い出した。

この日記を書いたときから20年以上経つけど、成長していないようで成長していて、ただあのとき一人で考えていたことにずっと支えられている。

細胞が生まれ変わって、新たな自分がやってきて、それでも自分を留め続けるのは記憶と関係性だとすれば、過去からの自分が自分を支え続けているのだと感じ入った。

今、乗り換えの電車を待つ雨が降るプラットフォームです。

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